お悩みQ&A  「障害に合わせた教育」というのは、正しいように思うのですが…お悩みQ&A 会報2024年5月号より

東京都・運営委員 片桐健司

〈質問〉 僕はまだまだ、インクルーシブについて初心者なのですが、障害者には「障害に合わせた教育」をすべきだ、と考え、文科省の特別支援校を作るという教育のやり方も自然な成り行きに見えます。「障害に合わせた教育」という、概念のどこを正すべきですか、文科省の解釈の仕方のおかしいのはどういうところですか。

〈お答え〉 私も「障害に合わせた教育」は必要だと思います。しかし、それは、「障害に合わせた」というよりひとりひとりに合わせた、と言うほうが良いかもしれません。

 いわゆる「普通の子」と言っても、ひとりひとり違います。足の遅い子がいたり、行動のゆっくりの子がいたり、勉強の面でも、理解の速い子、遅い子、やることのゆっくりな子、遅い子、集団行動の苦手な子、気が小さい子、精神的にハンディがある子、そういったひとりひとりの違いに合わせた教育が必要なのだと思います。クラスに30人いて、先生ひとりでそんなのは無理という考えもあります。そこで、みんな同じが要求され、同じにできない子は、否定されがちなのが今の学校の実態だと思います。その結果、そこに合わない子は不登校になったり、そこまではいかなくても、居づらさを感じながら学校生活を送ることになります。

 これをどう変えるか、それが今の学校に問われているのかと思います。でもそれはそんなに難しいことではなくて、そういう子どもの違いを大切にすること、ありのままの子どもをまず受け入れること、はみだしたり遅かったり、ゆっくりだったりする子を大切にする学校であれば、それはどの子にとっても過ごしやすくなるかと思います。それがその子に合わせた教育につながるかと思います。授業に参加しにくい子がどうやったら参加できるか先生が考える、クラスで一番気になる子を中心に授業を進める、そのことがどの子にとっても過ごしやすい教室になる。文科省の言う、特別支援教育はその子に合った教育と言うけれど、障害児を分けるだけで、分けた後その子に合った教育をしているとは思えません。障害児であればなおさらひとりひとりの違いが大きくて、先生ひとりで、たとえ少人数でも十分にみんなをみることはできません。ある子に合わせれば他の子は放っておかれるというのが現実です。もちろん、特別支援教育をしている先生の中には、できるだけその子にあった教育をしようと努力をしている人もいます。でも、学びというのは、先生が教えるよりも、周りの子から学ぶことの方がはるかに多いのです。分けられた空間では、それがありません。

〈答えを受けて〉 そうですね、ひとりひとりの個性の違い、その子に合わせた教育が必要ですね。日本では個性が重要視されず、画一的な教育が行われてきました。それで今度は、障害児に合った教育を、ということが考えられています。しかし、障害児を隔てるのではなく、健常児と一緒にその中で、もまれて育つ教育が大事なのですね。日本では「教育は学力をつけること」という意識が明治以来変わっていません。教育をもっと広い概念でとらえて、「生徒、皆で育つこと」という考え方にしなければなりませんね。
(メールできた質問に片桐が答えました)

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