「インクルーシブ教育」は人権だ ~大阪弁護士会が文科大臣に突きつけた勧告 会報2024年6月号より

大阪府 弁護士 橋本智子

待っていましたとばかりに受け止めてくれた弁護士たち

 弁護士会が行う「人権侵害救済申立」という制度を、ご存じですか。法的な拘束力のない、そういう意味では実効性の乏しい制度ですから、活用できる場面は限られています。現実にこれが最も多く利用されているのは、刑務所などの刑事施設に収容されている人が、たとえば適切に医療を受けさせてもらえなかった、職員から嫌がらせをされたなど、施設内で不当な扱いを受けたと訴える場面です。
 最近では、たとえば理不尽な校則について社会に問いかける、いじめを放置した学校に是正や再発防止を求めるなど、子どもの人権に関する分野などでも利用されるようになりました。このように、広く社会に対して問題提起をしたいというときに、大いに活用したい制度です(実は、間もなく第二弾、第三弾の申立をすべく準備しているところです!)。

 4・27通知に対する異議申し立ての方法としても、真っ先にこれが考えられました。正直なところ、弁護士会がこの問題への問題意識をどの程度持てているだろうかと、不安もありました。弁護士というのはとかく、「およそ、選択できることはよいことだ」「障害者に対して個別に手厚いケアをするのはよいことだ(そのために分離することは悪くない)」という固定観念を持ちがち…、と私は思っています。自戒を込めて。
 うれしいことに、申立をするや、この不安はみごとに吹き飛びました。大阪弁護士会は私たちの申立をがっちりと受け止め、やる気満々で取り組んでくれました。人権擁護委員会の委員長(申立当時)自らリーダーとなって、通常は同委員会から3人の弁護士がチームで担当するところを、本件は、子どもの人権分野からも、障害者の人権分野からも、エキスパートというべき弁護士たちを総勢10人近くも集めてくれました。こんなことは聞いたことがなかったし、なによりも、こんなにもこの問題に意欲と関心を持っている弁護士が、こんなにもたくさんいたのかと、感動しました。

実質的に大阪狙い撃ちというべき4・27通知

 本紙をお読みの方々はよくご存じのことと思いますが、もともと、大阪では、「ともに学び、ともに育つ教育」をいわば合い言葉に、障害のあるなしにかかわらず地域の子どもたちが同じ教室で過ごせるよう、各自治体がさまざまな努力や工夫を重ねてきました。とりわけ枚方市は、「ダブルカウント」という独自の施策を先進的に取り入れ、特別支援学級に所属する子どもたちも通常学級の人数にカウントして学級編成をし、市の予算で教員を配置して、より充実した「入り込み支援」あるいは「付き添い指導」と呼ばれる「合理的配慮」を行っていることで知られています。
 だからこそ、4・27 通知には、枚方市を中心に多くの当事者、保護者が衝撃を受けました。通知の内容そのものもさることながら、枚方市教委が、この通知を受けてきわめて迅速に、なんの抵抗もせず異議も唱えず(内部的にはわかりませんが、すくなくとも地域の保護者の目からみて、まったくそうした気配が見えず)これに従うかのような動きをみせたことが、個人的には非常にショックでした。

 とまれ、4・27通知は、「分離」を維持したい(もしかしたら、進めたい)政府が、できる限り「分離しない」ための取り組みを重ねてきた大阪を狙い撃ちにしていると考えて間違いないでしょう。逆に、週の半分どころか、ほとんどあるいはすべての時間ずっと「分離」している自治体が、まだまだ圧倒的な多数を占めるのが現状と思います。そうした地域の方々には、4・27通知はむしろ、週の半分「も(!)」通常学級で過ごすことを明確に認める「ありがたい」通知と受け止められたかもしれません。

「分ける」ことは差別だ

 しかし、私たちはこの通知を「ありがたい」と思わされるような現実そのものを、変える努力を諦めるわけにはいきません。障害者権利条約と、これを批准するにあたり改正した障害者基本法は、障害者への差別の禁止と合理的配慮の義務を定め、「インクルーシブ教育を受ける権利」を明確に規定しています。「大阪が進んでいる」のではありません。大阪は、条約と法律に従い、その精神を実現しようと努力をしているだけです。その努力は、理想からみればまだまだ途上です。それをやめろ、後退させろというに等しい4・27通知には、やはり真っ向から異議を申し立て、抗わなければなりません。
 今回の大阪弁護士会の勧告は、私たちのこの異議申立に、真正面から応えてくれました。読めば読むほど、当たり前のことが当たり前に書いてあるだけ。それだけに、格調高い。少し長いですが引用します。

 「インクルーシブ教育を受ける権利は、障害のある児童生徒が障害のない児童生徒と単に同じ場所で学べばよいというものではなく、教育の場面においては、障害のある児童生徒が通常の学級で地域の子どもたちと同じ場で学ぶために必要な合理的配慮と個別支援が保障されなければならない。」
 「枚方市や東大阪市における…〔中略〕…『ともに学び、ともに育つ』教育は、…〔中略〕…先進的な実践として大阪府教育委員会によって推進され、長年にわたり現に行われてきたものであり、それは権利条約が定めるインクルーシブ教育の理念に沿うものである。他方、〔4・27通知にいう〕時数制限は、週の半分以上を、特別支援学級の教室において、障害のない児童生徒から分離された状態で過ごすようにすることを求めるものであり、その内容は、インクルーシブ教育の理念に反し、それに逆行するものと言わざるを得ない。国は、権利条約及び障害者基本法によって、インクルーシブ教育を受ける権利の実現のため、全ての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとるべき義務を負っている。
 そのような義務を負っている国が、インクルーシブ教育の理念に逆行するような、本件時数制限を含む〔4・27〕通知を発出し、それによって、現にこれまで受けてきたインクルーシブ教育を受けることができなくなる児童生徒が生じるとすれば、それは、その児童生徒らのインクルーシブ教育を受ける権利を侵害し、不当な差別となるものである。」

いかがでしょうか。
「分けることは差別だ」と、明確に言い切ったステートメントと、私は受け止めています。

「選ばせる」という差別

 そしてもうひとつ、ここで「当事者の意思に反して」分けるのはいけない、という言い方をしていないことにも注目していただきたいと思います。
当事者の意思に反して云々というのは、法律家がよく使いたがるフレーズです。その人の意思に反していなければいいだろうと、分けられたい子は分けたらいいと、私たちはつい、そう考えてしまいがちです。

 しかし、就学にあたり、障害のない子どもたち(実際は保護者ですが、ここでは端折ります)は、○○学級に入りますか、○○学校に行きますかと、「選ばされる」ことはありません。自ら選ぶ(たとえば、私学に行く、フリースクールに行く、など)ことはあっても、権力側から否応なく選択肢を突きつけられ、ほら選べ、といわれることはありません。障害のある子どもだけが、それをされます。あたかもそれが、その子のためになる、よいことであるかのように。

 選べるのはよいこと、とは限らないのです。他の子が選ばなくてよいのに、特定の属性を持つ子どもたちだけ、否応なく選ばされるというのは、残酷なものです。それは、差別だと私は思います。

このことを、これからも問い続けます。


以下が2024年6月号会報の目次です。上記の原稿は本ホームページから閲覧可能ですが、
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会報2024年6月号目次

巻頭
「インクルーシブ教育」は人権だ  ―大阪弁護士会が文科大臣に突きつけた勧告―……………1
帯広からの報告 養護学校から校区の小学校 普通学級への転校を実現しました!…...............4
〝普通〟をアップデートする      ......................................………………………………. 7
小学校に入って               …………………….................................... ………… 8
高校生になりました            .................................. ……………………………….11
《経過報告》 文科省定員内不合格調査 公表後の取り組み   …............................................................…13
地域を耕す  なぜ普通学級なのか 2   ……………………..........................................…….15
●「相談から」コーナー 看護師がやめたら付き添いを求められた  ………………….............… …17
各地の集会・相談案内              ………………………..........................................…18
事務局から                           …………………....................................………….19
事務局カレンダー                  …………………...................................………….20