大谷恭子さんを偲んで 2 大谷さんの遺志を継いで (会報2024年12月号より)
東京都・運営委員 名谷和子
最期まで頑張っていたんですよね
今年の1月4日、PCのメールを開いたら大谷さんから依頼していた会報1月号の巻頭原稿「人権モデルとは何か」が届いていました。大谷さんはだいたい〆切ギリギリだったので(ごめんなさい。でもそうでしたよね。私はいつもハラハラしていたのですよ)、正月三が日が明けたら催促のメールを出そうと思っていたからです。あれ? 大谷さんにしては随分早いなと思いながらメールに目をやると、「12月体調を崩し、手術したのですが、厄介な病気が発見され、明日からちと面倒な治療が始まります。半年くらいは結構苛酷な状況になるように思います。何とか乗り越えてまた元気に皆さんとお会いしたいと思いますが、しばらくは治療に専念せざるを得ない状況となりました。また絶対に会いたいと思います。それまでは少し引きこもりますので、皆さまには何とか急病で、くらいに伝えてもらえないかな」と書かれてありました。
それから約半年後、大阪弁護士会主催の学習会で講演する大谷さんの姿をズームの画面越しに見ることができ、「祝! 大谷恭子復活ですね」とメールをしましたが、返事が来ないことが気になりつつも、「きっと忙しいのだ」と思っていました。9月のはじめに、柳原由以弁護士からの「大谷さんがインクルーシブ教育の本を執筆しているので、全国連に書いた川崎裁判に関する原稿を送ってほしい」という電話から、大谷さんの容態がわかりました。会いたいと柳原さんを通して伝えてもらったのですが、その返事は、「そうだね、頑張っていると伝えて」ということでした。「頑張って本をまとめるから、なっちゃん(私のことをそう呼んでくれていました)も、頑張って」という大谷さんからのメッセージだと受け止めました。本の完成を待たずに天国に旅立たれた大谷さん、インクルーシブ教育実現への思いを私たちに伝えようと最期まで頑張ってくれたのですよね。本は、現時点では書籍名「やっぱり分離は差別だよ」で現代書館より2025年1月末に出版される予定です。
2023・6 大阪で講演する大谷さん
原則分離例外統合を原則統合例外分離へ
学籍を地域の学校に一元化して原則統合に制度変革していかなくては、地域でどんなに頑張っていても例外統合が続いていくだけだと、大谷さんが最初に原則分離例外統合から原則統合例外分離を提起されたのは、1995年の東京教組の研究集会でした。その後、特別支援教育の実施に向けて学校教育法が改正されるにあたって、大谷さんの呼びかけで2006年1月に「学校教育法改正・原則統合緊急連絡会議」が発足しました。私が大谷さんとともに活動を始めたのはこの頃からでした。会は「原則統合・連絡会」そして「障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク」と名称を変えながら活動を広げていきましたが、大谷さんは常にその中心にいました。全国連でも何度も講演をしています。日教組の全国教研では共同研究者として教員に発信していました。民主党政権下、内閣府の「障がい者制度改革推進会議」の委員でもありました。パンフレットも作ったし、「インクルーシブ教育を推進する議員連盟」設立のためにロビー活動もしました。
しかし、2013年9月の学校教育法施行令一部改正では、就学先決定は教育委員会の総合的判断ということになり、原則分離ではないけれど原則統合にはならなかったのです。この結果のあらわれが川崎裁判だったと私は思っています。2020年3月横浜地裁の前で声を詰まらせながら怒りをこめて判決の不当性を訴える大谷さんの姿は忘れられません。
2022年8月、大谷さんも日弁連のメンバーとして日本の分離別学体制の実態を伝えるためにジュネーブの国連に来ていました。権利委員から出た質問内容を整理し、誰がどう答えるか、日弁連との時間調整をするために何度か大谷さんの泊まるホテルに通いました。国連からの「『就学拒否禁止』の条項および政策をたてること」という勧告には、大谷さんも「やったぜ!」と思ったことでしょう。この勧告をどう実現していくか、これからだったのに…。
大谷さんの遺言
去年の11月に「ハルメク」という高齢女性を対象にした雑誌に、「弁護士大谷恭子さんが語る瀬戸内寂聴さんの教え」という記事をみつけ、うれしくなってメールをすると、「へー定期購読してるの! なんかまたみんなで会いたいねー。ネー私、人権モデルって、みんなが言ってた『当たり前に』のことだと思うの。そのことにふと気づいて、あの実践の継承、絶対に必要と思ってる。」と返信がありました。雑誌『賃金と社会保障』(2023年1月号)にも「日本においては、インクルーシブ教育と命名されるずっと以前1960年代後半から、人権教育として差別のない教育・教室=共生教育の実践が積み上げられてきた歴史がある。ここでの教育実践は、合理的配慮と命名される以前から障害のある子がクラスの教育に参加できるよう様々な工夫がされ、また人権モデルと命名されるまでもなく、障害も個性であると認識され、当然のようにクラスの一員として受け入れられてきた。これは世界に誇れる教育実践であり、日本の教育の財産である。しかし、残念ながら、この優れた教育実践は一部の地域にとどまっている。これを日本全体に研修としてひろめること、これが喫緊に求められているし、これは、制度改革を要することなく、即実行できるはずである。このことが、まさに総括所見で求められたことを自覚し、直ちに取り組んでもらいたい。」と書かれています。
前述の6月の講演で大谷さんは、「あえて言わせてもらう」と前置きをして、「『共生共育論』と『発達保障論』の融和」と話されました。私は一瞬「えっ?! 」と耳を疑ったのですが、この新たな提起でまた大谷さんとやっていけると思っていたのに、これが遺言になってしまいました。みなさんはどう受け止めますか? 「なっちゃん、頑張ってよね~」という大谷さんの声が聞こえてきます。
2022・8 国連で文科省役人に抗議する大谷さん