第8回「やまゆり」からいのちを問い続ける横浜フォーラム報告 ~「安楽死」「尊厳死」よりも「尊厳生」を語れ~
神奈川県・運営委員 千田好夫
「やまゆり」からいのちを問い続ける横浜フォーラム実行委員会は、2024年10月27日第8回となるフォーラムを横浜市桜木町で開催し、64名が参加した。講師は、毎日新聞記者で障害福祉、精神医療、性暴力などを取材してきて、「ルポ『命の選別』」(文藝春秋)等の著作がある上東麻子さん。渋谷実行委員長の基調報告の後、上東さんから「選別される命~旧優生保護法から『やまゆり園』事件へ~」と題する講演をしていただいた。
今年7月3日に画期的な旧優生保護法損害賠償訴訟の最高裁判決が出た。それは、旧優生保護法を初めて違憲とするもので、原告が全面的に勝訴し、国に賠償を命じた。原告の勝利は、優生思想による障害者差別と闘っているすべての人々の勝利でもある。
しかし他方で、この判決にもかかわらず優生保護法を生み出したこの社会のあり方は揺らいではいない。津久井やまゆり園事件で46名を死傷させた実行犯は障害者を人間として認めず「生きている価値がない」と主張し、これに同調するネット上の書き込みは少なくない。また新型出生前診断によって何らかの異常が認められた場合、9割以上の胎児が中絶されている。私たちは、この状況をどう考えるべきなのだろうか。
講演要旨
① 「旧優生保護法とは何か?」
優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する法律。
② 「最高裁判決とその後」
旧厚生省内部では法律自体が人権侵害であることは認識していた。旧優生保護法を「母体保護法」に変えながらも、被害者の救済措置を怠ってきた。その上、除斥期間をもうけ「賠償請求権はない」としていた。最高裁判決は、旧優生保護法は立法時から違憲、除斥期間の主張は権利の濫用、国に賠償責任があるとした。
③ 「強制不妊手術の実態」
旧優生保護法下で約2万5千人もの障害者がだまされて不妊手術を受けさせられた。子どもや遺伝性ではない障害のある人、それどころか障害のない人も対象にされていた。(障害のない人は貧困や家庭の事情で障害者とみられていた)研究目的で放射線照射もされていた。
障害者の痛みに対し、加害者は無自覚。究極の性暴力。メディアも加担していた。
④ 「ビジネス化する出生前診断」
母体の採血のみによって胎児の先天性疾患の可能性を調べる検査。「命を選ぶ」技術になっている。非認定施設(美容外科など)ではビジネス目的で障害への不安をあおる悪質な営業が行われている。
⑤ 「やまゆり園事件は終わったか」
入所施設の構造的問題。あいつぐ虐待事件。地域移行とは言うが、地域住民による障害者施設反対運動。グループホームのミニ施設化。広がらない重度訪問介護などの問題がある。
⑥ 「『安楽死』議論より必要なこと」
「安楽死」「尊厳死」よりも「尊厳生」を語れ。
⑦ まとめ(旧優生保護法から新型出生前検診へ)
技術の進歩、ビジネス化で、「自己決定」という形をとりながら「優生社会化」は進んでいる。不良な子孫の出生防止ではなく、心身ともに健やかに生まれ育つように配慮するという形で。
講演と意見交換を通して考えたこと
上東さんの講演は、内容が広範囲にわたりながらもとてもわかりやすかった。
最高裁判決は画期的だったが社会のあり方はそれと矛盾している。講演は、それをどう突破していくかということにも踏み込んでいた。
そのキーワードは「尊厳生」だ。京都で起きたALS嘱託殺人事件は、メディアでもネットでも「安楽死殺人事件」と表現されていることが多く、まるで安楽死を認めない判決が問題であるかのようだが、考えられるべきは障害のあるままの状態で尊厳をもって生きていくことである。もともと、裁判で問われているのは、国は賠償すべきか否か、あるいは被告が有罪か否かであって、どうすればよりよい社会を築けるのか、なのではない。
尊厳ある生は、「優生思想にどう向き合うのか」よりも、社会がどのようなケアの仕組みを持つのか、障害のある、あるいは障害のない我々一人ひとりがお互いにどのような関係をつくっていくのかにかかっているのである。
そして、それを育むのがインクルーシブな教育だと思う。理屈抜きに多様性の中で生の付き合いをすることによって、お互いを「尊厳ある生」として認め合うことだ。一週間に一回程度の交流教育では、決してそうはならない。毎日の付き合いがなければ「おかしな奴」「親がかわいそう」という偏見を拡大拡散するだけだ。やまゆり園事件の元被告が手記で書いているとおり、障害の異形(いぎょう)性のみが強調されてしまうからだ。司会をしていた私の不手際で、そこまで議論を展開していけなかったのが悔やまれる。
セミナーの様子
