思いもかけない年明け ~地震後の能登の人たちとつながって生きていきたい~
石川県・運営委員 徳田茂
石川県では起こることがないだろうと思っていた大災害が起こりました。元旦に能登地方で発生した最大震度7の大地震とそれに続く輪島市の朝市通りの大火災は、能登の人たちの日常と能登の風景を一変させてしまいました。これを書いているのは二月上旬ですが、発災から一カ月余りがたった今も、能登の人たちの日常が戻る目処は全く立っていません。依然1万4千人の人が避難生活を続けています。広域で断水が続いていて、完全に復旧するまでにどれだけの年月がかかるかわからない状態です。
今回の大地震では240人の人が亡くなりました。正月の楽しいひとときを過ごしている中で突然命を絶たれてしまった人たちのことを思うと胸が詰まります。大切な人を失い自分だけが残った人のことがよく新聞で報道されていますが、私は見出しを見るのが精いっぱいで、本文を読むことができません。心が壊れてしまいそうになっているだろうと思うと、それだけで辛くなってしまいます。
私自身能登に知り合いが何人もいますし、私の勤めているひまわり教室の職員の一人は実家が能登町にあります。おばさんが能登に住んでいる職員もいます。ひまわり教室に通っていた家族の中には能登地方に実家がある人が何人もいます。能登は私たちにとって心のつながっている大事な所です。震災直後に金沢の方へ避難してきた人もいれば、命からがら難を逃れて避難所暮らしを続けている人もいます。なんとか住めそうだということで自宅での生活を続けている人もいますが、いずれにしても水がないので、極めて不自由な生活が続いているようです。
能登に住んでいる障害のある人たちはどうしているだろう。1995年の阪神淡路大震災の際に障害のある人たちが十分な支援を受けられなかったことを知り、その後私は災害時の障害者支援の問題に関心を寄せてきました。阪神淡路大震災後も東日本大震災や熊本地震など、大きな災害が続いていましたが、私の中では「石川ではあのような大災害は起こらないだろう」との思いがありました。しかし、現実に能登で大震災が起こりました。ここでなにもしないまま過ごすわけにはいきません。動けるだけ動こうと思いました。
二日にひまわり教室の職員のうち集まれる人が集まり、能登地方の障害者福祉事業所へ電話をかけて様子を教えてもらいました。以前の地震の際にも連絡を取りましたが、その時はどの事業所も大きな被害がありませんでした。ところが今度は全く違っていました。ほとんどの所と電話がつながりませんでした。なんとかつながったのは、能登の入口あたりの場所にある事業所で、どの事業所も水がほしいとのことでした。さっそく三日には二人の職員が要望のあった品物を三か所の事業所に届けました。その後もひまわり教室の職員やひまわり教室とつながりのある人たちで交代での能登の事業所へ品物を届ける取り組みを続けています。
私も1月中に2回出かけました。その折に七尾市内の商店街に車を入れてみたのですが、古くからあった和ろうそくのお店が完全につぶれて屋根が地面についていました。その後もあっちでつぶれこっちで傾きという光景が続くのを目のあたりにして、「アーアー」とため息しか出てきませんでした。この商店街が復興する日が果たしてくるのだろうか。そんな思いに囚われてしまいました。少し山に入ると、あちこちで土砂崩れが起こっていてたくさんの木々が乱雑に倒れていました。
能登の障害者福祉事業所の人たちには「遠慮しないで、ほしいものは何でも言ってください」と伝え、先方の求めているものを届けるようにしているのですが、これらの品物はすべて「ゆめ風基金」からいただいたお金で購入させてもらっています。「ゆめ風」があってよかった。何度そう思ったかわかりません。「ゆめ風ねっと加賀」を作っておいてよかった、とも思っています。これまでほとんど活動らしき活動をしていませんが、今は多少なりとも被災地の人たちの支えになれているのではないかと思っています。全国連の事務局長の高木さんによれば、全国連のみなさんも「ゆめ風」の方へ募金を寄せてくださっているとのこと。とても励まされました。こんな時は周りの人たちの応援が心に浸みて来ます。自分たちだけでは何もできないと思っているので、あちこちのみなさんが気にかけてくださり応援してくださっていることが、私たちにとって大きな心の支えとなっています。この場を借りて感謝の気持ちをお伝えします。みなさん、本当に有難うございます。
思いもかけなかった大災害に直面して細々としながら動く中で、いろんなことを考えています。一つは原発のこと。今度の地震で震度7を記録した志賀(しか)町に、北陸電力の志賀原子力発電所があります。多くの住民の反対にもかかわらず建設が強行されたものです。今回は幸いにも大きな事故に到りませんでしたが、また大地震が起こった時に、絶対事故が起きないという保証はありません。万が一の時に備えて避難訓練がなされていますが、その時は道路状態は万全で迎えのバスもスムーズにやってきて、全ての人が無事「避難」できたことになっています。
しかし実際に地震が発生したところ、道路は寸断されました。平常時の避難訓練のいい加減さが如実に示されました。その他にも、被災した障害者をケアする人たちをどう支えていくのかという問題など、いろんなことが気になっています。
動きながら考えていきます。