【 1 学校に入る前に・・・ 】
障害を持つこどもの保護者は就学相談、就学時検診について色々話を聞いていると思います。そのような質問、悩みに関するQ&Aです。
■ 質問
来年4月に小学校に就学予定です。普通学級を希望していますが、まだどこにも相談はしていません。就学時健康診断のお知らせがきましたが、どうしたら良いでしょうか
■ 答え
ご存じの方も多いかと思いますが、就学時健康診断は、受けなければいけないものではありません。教育委員会に実施義務はありますが、子どもの受診義務はありません。就学時健康診断の最大の目的は、「障害」児を見つけだして、就学相談にかけさせ、子どもを支援学級や支援学校に送り出そうというものです。私たちは、長い間、この振り分けを目的とした就学時健康診断に反対してきました。そして多くの子どもたちが就学時健康診断を受けずに、地域の普通学級に入学してきました。
まずは、就学時健康診断には行かないことがよいと思います。どうしても行くという場合は、行った学校で「この学校に入りますのでよろしく」と伝えましょう。 就学時健康診断でチエックされると、就学相談にかかるように勧められます。これは、「相談」ですから、本人が希望しなければ受けなくていいものなのです。しかし、何も知らないと受けないといけないように思わされ、「相談だからいいか」と受けてしまうと、それは「相談」に名を借りた子どもの「就学 先判定機関」になっていて、一方的に「判定」が出され、あたかも判定に従わなければいけないような言われた方をされます。 困ったときには、一人だと不安だと思いますので全国連絡会に相談ください。また、全国連絡会から出されている「障害児が学校へ入るとき」(千書房刊・1600円)をお読みになると、詳しいことが分かります。
■ 質問
来年就学予定で、就学相談を受けたところ、「支援学校適という判定が出たので支援学校に行きなさい」と言われました。支援学校に入らなければいけないのでしょうか。
■ 答え
最近は、就学時健康診断のかなり前から「就学相談」を勧められ、相談に行く方も多いようですが、普通学級に行くことがはっきりしていたら、これも相談に行く必要はありません。それでも子どもの状態を伝えておきたいというときは、「就学相談」には申し込まず(申し込み票を提出しないで)「普通学級に入りたいので相談に来たのでよろしく」ということにして、あくまで普通学級に入るための「相談」という姿勢を貫いてください。
もし、「相談」を受けて判定が出されたときは、障害者基本法16条で、「保護者・本人の希望尊重」が明記されていますから、何を言われても、最後まで希望が変わらないことを伝えましょう。実際には、子どもの悪いところばかりとりあげ、これでは普通学級でやっていけないとか、周りが迷惑するとか、親子の希望を変えさせようとあらゆる否定的な言い方をして親子を不安にさせるこが多いです。悲しい話です。子どもができないから教育が必要なのです。その教育の場が普通学級であってはいけないなどという決まりはどこにもありません。どの場であろうと、どういう障害があろうと、学校や教委はその子を教育する責任があるのです。
ここで負けずに希望を言い続けてください。希望を変えないと就学通知を出さないような意地悪をするところもいまだに多いようですが、就学通知を出す責任は行政にあるのですから、「出さなくてもけっこうです。入学式には○○小学校に行きます。就学義務は親にありますから」と言えば、法令違反をしている行政は、逆にあわてるはずです。 困ったときには、一人だと不安だと思いますので全国連絡会に相談ください。また、全国連絡会から出されている「障害児が学校へ入るとき」(千書房刊・1600円)をお読みになると、詳しいことが分かります。
■ 質問
地域の普通学級へ通わせたいと思っていますが、就学相談は受けた方が良いでしょうか?
■ 答え
はじめに結論です。地域の普通学級へ就学を希望されているのでしたら、就学相談を受ける必要はありません。就学相談を受けなくても、地域の普通学級に就学できます。就学相談を受けると、お子さんの就学先は「就学支援委員会」で検討されます。「相談」「支援」という言葉から、お子さんの普通学級への就学についてどのような支援が必要かなどの相談にのってくれると思われる方もいるかもしれません。しかし、地域によって若干の違いはありますが、多くの場合、依然として、就学相談とは名ばかりで、「その子にあった教育を」という建前のもと、子どもを判定し、就学先を振り分ける機関です。
就学相談を申し込むと、専門委員(教員)や心理士がお子さんを観察します。僅かな時間の観察・面談によってお子さんが「支援学校適」「支援学級適」と判定され、最終的には保護者の意向を尊重するとはいうものの、支援学校や学級への見学を勧められたり、普通学級での大変さを説明されたり、相談継続 という扱いでなかなか就学通知が来なかったりします。昨年の例ですが、就学相談を受けられた保護者の方が、「それまではとても丁寧で親切に対応していた区の方が、判定結果と違う希望を出したら、態度が急変しました。まるで、お上の言うことを聞かないとんでもない輩だという扱いをされました」と憤慨し ていました。普通学級に就学するのに、無駄な労力や嫌な思いをする必要はありません。
芦屋市では、数十年も前から「就学時健診」の前に、すでに「就学先の小学校」が通知されています。通知には、「表記指定の学校以外の学校(私立および国立等)に入学されるときは、その学校の入学承諾書をご持参のうえ、△月□日までにお届けください。特別支援学校へ入学されるときは、所定の手続きが必要となりますので、教育委員会までご連絡ください」と書かれています。秋の就学時健診の前の段階で居住地の学校へ就学通知が送付されています。そして、特別支援学校・支援学級を希望する場合には、別途、就学相談が行われているようです。石川県の金沢市でも2016年から9月上旬に就学時健診の通知とともに就学通知が送付されるようになったそうです。
原則、地域の普通学級。そして、希望する人が特別支援学校や学級へ行く。そのために就学相談を受けるのです。このような地域はまだ少ないのですが、これまでも就学相談や就学時健診を受けなくても、法律にしたがって、就学通知は1月末までに必ず来ています。特別支援学校や学級へ行くには、就学相談が 必要ですが、地域の普通学校へ就学するのに、就学相談は必要ありません。保育園の保母さんや幼稚園の先生に就学相談を受けるよう言われたりもしますが、「普通学級にいくので、就学相談は受けない。必要がない」とはっきり伝えましょう。
それでも、やはり不安ですよね。就学通知が届いた後、どの学校でも2」月はじめに開かれる新一年生保護者会で、お子さんの様子を学校に伝えることもできます。そこで、はじめて、その学校へ就学するための相談を具体的に始めていきましょう。
■ 質問
「就学時健康診断」のお知らせが届きました。その冒頭に「学校保健安全法の規定により各小学校で、就学予定のお子様の就学時健康診断を実施いたします。・・・受診されるようお願いします。」とありました。どうしても私たち親は「規定」という言葉に身構えてしまうのですが、全国連絡会の本、「障害児が学校へ入るとき」の説明に従えば宜しいでしょうか。「就学時健康診断のお知らせ」の意味の捉え方としては、あくまで健康診断を実施する義務はあるが、子どもには受診の義務は無いという解釈で宜しいでしょうか?また、本では「学校保健法」とあり、お知らせには、「学校保健安全法」とありますが、どちらも同じものを指すと思えば宜しいものでしょうか?小学校には健診を受けない旨を電話なりで伝えることでよいでしょうか。
■ 答え
最近は状況がいろいろ変わってきてどういうやり方がよいか(すんなりいくか)、簡単には言えない面もありますが、「障害児が学校へ入るとき」の記述は十分参考にしていただいてよいかと思います。断るには、本にあるように直接学校へ話に行くか、電話で「行きません」と伝えればよいです。たまに、「就健は受けるべき」と言ってくる場合がありますので、その時は「だとしたら、その法的根拠を教えて下さい」と伝えてください。「学校保健安全法に書いてある」と言ったら「子どもが受けなければいけないとどこに書いてありますか」と聞いてみてください。それ以上何か言ってきたら、それを言っている人の名前と役職名を聞いて、「こちらで調べてまた連絡します」と伝え、地域で相談できる方がいればその方に、あるいは全国連絡会の方へ相談下さい。
言われるように、就健は教育委員会(学校ではなく)に実施の義務はあっても子どもに受診の義務はありません。もともと、「障害」児を見つけ出して支援級、支援学校への振り分けを目的としたもので、この時期に健康診断を受ける必要は何もありません。しかし、「受けません」と言っただけでこちらが間違っているような言い方をしたり、中には怒り出す人がいたりします。子どものために何が一番良いか真剣に考えて行動していることに間違いはないので、何を言われても自信をもって対応してください。
学校保健法は、2008年に学校保健安全法と言い換えられました。就健に関しては4条が11条になったぐらいで、内容的にはほとんどかわっていません。
ある学校では、77人の予定者のうち、20人も無断欠席があって教頭が嘆いたという話もあります。「障害」というより、忙しさ、受けなくても別に大丈夫という意識、無関心もあるようです。また、その日の情報と、入学してからの子どもの様子に違いがあるのがだいたい毎年の例で、現場感覚としては、就健の意味付けは薄くもなってきているという話もあります。就健も、その必要性が問われる時代になったのかも知れません。
■ 質問
来年小学校就学です。私の子ども は話すことができません。座ってもいら れず、声をよく出します。トイレ、着替え、 食事等にも介助が必要でとても心配です。親としてどうすれば良いでしょうか
■ 答え
何も心配することはありません。 どうすれば良いかは、親が考えることで はなく、学校が考えることです。学校の ことは学校にまかせましょう。
学校では、お話できて、席に座っていて、授業中も静かにしていなければいけないと考えたら、そうでない子はいづらくな ります。でも、そういう子は学校にいてはいけないのでしょうか。そんなことは ありません。学校は、いろいろな子がいると ころです。いろいろな子がいていいし、いろいろな子がいなくてはいけない ところだと思ってください。教科の勉強 だけが学 びではありません。いろいろな 子と出会い、この子(人)とどう付き合っ たらよいかを考えるのは、もっと大切な 学びです。
私が付き合っていた子の中に1時間中 大泣きをしていることがよくある子がいました。大声で泣くので周りの子は「うるさい なあ」と言います。私も「うるさいねえ」と言います。でも、「静かにしなさい!」と言って泣きやむわけではありません。 それは、その子の表現なのですからそれを受け入れるしかありません。 うるさい中でその子といっしょにどう授 業を進めるか、 あまりうまくいったことはありませんでしたが、その声のおかげで、実は子どもたちは授業に集中していることに、あるとき気が つきました。うるさいことは不快に感じるかもしれませんが、子どもたちはそれをいつしか受け入れていたのです。
その子は、「だだだ」という声は出しますが会話になりませんでした。でも、周 りの子どもたちは、その子の仕草や声の出し 方から、その子が何を言おうとしているかを聞き取るようになりました。そしてその子がしゃべっていたことに気がつきました。
その子はトイレも食事も着替えも一人 ではできませんでした。支援員もいない 時代、初めのうちは私がだいたいやりました。 先生は忙しいからそんなことでき ないと言うかもしれませんが、それにどれほどの時間がかかるでしょう。人が困ったら助ける のはお互い様だと考えればそ れは当たり前のことだと思いました。そその子はトイレも食事も着替えも一人 ではできませんでした。 支援員もいない 時代、初めのうちは私がだいたいやりま した。先生は忙しいからそんなことでき ないと言うかもしれませんが、 それにどれほどの時間がかかるでしょう。人が困ったら助けるのはお互い様だと考えればそれは当たり前のことだと思いました。 そのうち、周りの子がそれをやってくれるようになりました。
初めのうちは、席にもなかなか座りませんでした。席を立ったら手をつないで、 席に戻るようにしました。やがて子どもたち がやってくれるようになりました。
私は、その子と出会ったことによって、 たくさんのことをその子や周りの子から教えてもらいました。「障害」はその子にあ るのではなく、周りの受け止め方にあ る、というのが障害者権利条約の考え方です。その子がいることが、実はとても 大事なこ となのです。自信をもってお子さんを入学させてください。
- ■ 質問
- 来年小学校就学です。普通学級に 入るということで、学校からは、これだ けのことはできるようにさせておいてく ださいと言 われ、幼稚園の先生は一生懸 命子どもを指導してくれています。しか し、そのせいか、最近子どもの行動に落 ち着きがなく、 乱暴になってきたと幼稚 園から言われ、困っています。どうした らよいでしょうか。
- ■ 答え
- 学校に子どもを合わせる必要は ありません。無理な指導をしないように 幼稚園の先生とよく話し合ってみてくだ さい。学校に入 るために、急に今までと 違うことを要求すれば、子どもはストレ スがたまり、今までなかったような行動 をしたりします。まず は、子どもの今の ありのままの姿を受け止め、それでいい んだよという安心感を与えてください。それから、少しずつ、できる 範囲で教え、 できないことで決して叱らずに、できる ことを大事にしながら子どもを見守って ください。
- 2月頃に、どの小学校も入学前の説明 会をします。そのときに、どんな準備が 必要か、服装や学用品などを保護者に伝 えま す。その中でよく言われるのが、自 分の名前は書けるようにしておいてとか、 着替えやトイレは一人でできるようにと いうこと です。しかし、それを言われると、 それがうまくできない子どもの親は、学 校に入れさせてもらえないような気持ち になって、 あせって急に子どもに「訓練」 を始めたりします。
- おそらく、幼稚園の先生も、子どもた ちが学校に入ってから困らないようにと、 善意であれこれしてくださっているのか と 思います。でもそれは入学を前にした 子どもにとっては、ものすごいプレッ シャーになっています。ですから、相談 のようなこ とが起こるのではないかと思 います。
- 本来、入学前にできなくてはいけないことなどありません。ですから、入学前 の説明でそういう話を学校はしてはいけ ないは ずです。学校にしてみれば、ある 程度子どもが何でもやれれば指導がしや すいのかもしれませんが、それは学校の 都合で子ども の教育とは関係ありません。 学校がやらなければいけないことは、あ れこれうまくできない子がいたら、そう いう子と向き合っ て育てることです。そ れが学校がしなければいけない「教育」 です。学校の仕事です。ですから、何も できなくても、当然学校 に入っていいのです。「みんなちがってみんないい」と教 えるはずの学校が、子どもたちの「できる・ できない」という違いを 否定してはいけません。前回も書きましたが、学校はいろいろな子がいるからおもしろいのです。
- 多くの親は、入学前になると「そんな ことできないと学校に入れてもらえない」 と子どもを脅かして、何かをできるよう に させようとしますが、そうではなくて、 学校に入ることに希望をもち、安心して 入学できるように子どもと接してくださ い。子 どもがあれこれできなくて親が暗くなったら、それが子どもにとっては一 番つらいことですから、明るい気持ちで 子どもと接して ください。入学前何かできなくても、周りの愛情と柔らかな指導 で、時期がくれば子どもは自然に成長し ていくものです。
■ 質問
この4月に小学校入学です。地域 の小学校に就学を希望していますが、就学 相談で「支援学校」と判定され、それを断っ た ら、教委から「それでは、就学希望先の 校長と面談してください」と言われました。 校長がだめと言ったら地域の学校に入る ことはできないのでしょうか。
■ 答え
お答え 就学先を決めるのは、校長では ありません。「親子の意向を尊重」(障害 者基本法第 16 条)したうえで、教委が決 めます。校長にその子が来てよいとかい けないとか言う権限はありません。です から、教育委員会 が、校長の了解をとる ように親に言うことはおかしい話です。 ところが、最近? 校長と面談をするよ うに言われたという 相談が多く、困った ものだと思っています。
教育委員会は、就学相談の判定に従わない親に対しては、かなりしつこく希望 を判定通りにするように言ってくること が多い です。
一つには、決定に従わせるのが自分た ちの役目だと思い込んでいるフシがあり ます。教委の言うことをきかない親がい る ことがいやなのです。
もう一つは、教委が親の希望にそって 決定をしたことで、「なぜこの子をうちの 学校によこしたのか」と文句を言う校長 がいることです。ふだん、人事権を握っ ている教委にはぺこぺこする校長も、こ と支援教育に関しては担当職員に対して 上からもの言いをすることがあります。 それがいやな教委の担当は、親を校長と 面談させて校長から直接断ってもらおう とするのです。詳しい事情がわからない 親からすれば、校長に決定権があると思 い込み、校長から断られたらその学校に は入れないと思わされます。あるいは、 最後まで希望を通そうと思っていても、 こんな校長のところに子どもをあずけた ら何をされるか分からないと「特別支援 学校でいいです」と言ってしまったりします。
いくら、障害者基本法に「親子の希望 尊重」と書いてあっても、その親が「支 援学校でいいです」と言ってしまえば、 この親は「支援学校を希望した」とされ、 「希望通り、支援学校に決定」となって、 本来の希望は生かされません。
基本は、教委から面談を勧められても、 就学先がはっきり決定するまでは面談に 行かないことです。断りにくいかと思い ますが、「もう希望は決まっているので面 談に行きません。決まったら行きます」 とはっきり断りましょう。
最近は、「こんな子はうちの学校で責任 もって教えられません」などと言う校長 も出てきました。ひどい話です。どんな 子でも、どの場にあっても、学校はその 子の教育に責任をもたなければなりませ ん。それが学校の仕事です。
とはいえ、何も知らない親が、教委や 校長の前で話をするのは大変だと思いま す。遠慮せずに、全国連絡会に相談して ください。地域の学校に入ることは、保 証されなければいけません。
■ 質問
教員です。どの子も一緒はいいですが、教員の加配がなければ安全や他の子の教育の保証ができません。保護者からのクレーム も心配です。加配人員を確保した上での入学事例等ありましたら教えてください。
■ 答え
そういう子が入るということで、正規の教員が増えたという話は聞いたことはありません。ただ、国は支援員確保の予算をとっ ており、それぞれの自治体も予算化して、支援員を配置しているところは多いです。
本来、必要であれば正規の教員を増やすべきですが、その実現が難しい現状でも、行政(学校)がその子の学習や安全について 責任をもって保証するべきではと考えます。
ただ、人的配置は不十分でも、様々な子どもたちを受け入れてきた学校、教員がたくさんある(いる)ことも事実です。私は、 長いこと教員をしてきていろいろな子を受け持ってきましたが、その子がそこにいてよくなかったと思ったことはありません、確 かに大変だと思ったこと、うまくいかないと悩んだことはありましたが、その子がそこにいることを大切にしたいと思うことで、 たくさんの貴重な体験をすることができました。
考えてきたことは、その子だけでなく、どの子も様々な問題、課題を抱えているということです。その子が参加できる授業と は何か、逆にその子が居づらい学校とは何か考え、そこを少しずつ変えていくことで、その子も安心して過ごせる学校生活の工夫 をしていきました。そして、それはどの子にとっても過ごしやすい教室になるのだということを感じてきました。先生ひとりがみ んなを教えなければと思うと大変ですが、先生はできなくても子どもたちが助けてくれました。保護者からの、「あの子がいるこ とで…」という話は何度もありました。そんなとき、子どもたちがお互いを思い、いろいろな友だちのことをわかり合うことで、 成長している話をしました。すぐにわかってもらえないことも多かったですが、自分の子どもが変わっていく姿を見て、親たちも わかったくれるようになり、保護者会でもそんな前向きな話し合いができるようになりました。
支援員もいない時代、学校内で話し合って、お互いに何ができるか、どういう体制をとるかを考え、管理職も含めて協力体制 をとりました。障害児だけの問題ではなく、いじめがおきたときも、学級がなかなかうまくまとまらなかったときも、とりの担任 に任せないでみんなで工夫してやるようにしました。いじめる子に、ここから出て行けとかは言わないでしょう。当然加配もとれ ません。でもどうしたらよいかみんなで考えます。障害児だって、ここから出て行けではなく、みんなで考えることが大切です。 大事なことは、まず、どんな子でもこの子がここにいて良かったと思う先生の気持ちだと思います。
大変でしょうが、ぜひ、現場でがんばってください。
■ 質問1
地元の学校に行きたいと思い、9月頃に学校に行って校長と会ったら、いきなり「こういう子は支援学級に行くべきだ」と言われ、子どもについての相談は何もできませんでした。 こういう学校にとても子どもは入れる気にはなれませんでした。
■ 質問2
自分の子に障害があるとは思っていませんでしたが、少し心配なので市の就学相談へ、地元の学校で生活するにはどんなことを準備したら良いかと思い、行きました。そうすると、 いろいろ検査をされ、この子は支援学級に行くべきだと言われてしまいました。そんなつもりで相談に行ったわけではないので驚きました。こんなことになってしまって子どもに申し 訳ないことをしたと思いました。今後どうしたらよいでしょう。
■ 質問3
医療的ケアが必要な子どもです。地元で育った子どもたちと一緒に学校に入りたいと思い、市に相談に行ったのですが、市は地元小学校では受け入れられないという姿勢です。何度 も話し合っていますが、話し合いは進みません。
■ 答え
障害者権利条約、子どもの権利条約などの国際条約は、どの子も共に学ぶことを基本としています。それに基づいて改正された日本の障害者基本法第16条では、可能な限り共に教育を 受けること、就学にあたっての親子の意向尊重と情報提供義務が書かれています。つまり、普通学級でも障害児を受け入れ、合理的配慮の提供など学校が最大限の努力をしなくてはいけ ないのです。校長は「分かりました。学校としてできるだけのことをいたしますから安心してこの学校においでください」と言うのが当たり前にならなければなりません。
しかし、相談にもあるように現実は違います。校長は、一方的に思い込んでいる事実ではない情報を、頭ごなしに間違っているのはお前だと言わんばかりに押しつけてきます。 教委も同じです。何も知らない親は黙るしかないでしょう。
なんとかしたいものだと、私たちも思い続けてきましたが、立て前はともかくインクルーシブ教育システムなどと分離教育を正当化している国が基本的な考えを変えていない ところで、現場も何の反省もなく親子をいじめ続ける状況が続いています。
公的機関に相談できないのはおかしいのですが、現実がこうである以上、就学通知が届く1月末までは学校や教委に相談には行かないのが一番良い方法です。すでに行って しまった方は、相談を打ち切ること、続ける場合には、最後までこちらの希望を変えないことが大事です。細かい対応の仕方は、全国連や地元の支援者にその都度、対応の仕方を 相談しながら話を進めてください。すでに、全国連に相談のあった方で、地域の支援者を紹介したところ、話が前向きに進んでいるという報告も来ています。あきらめずにがんば ってください。
■ 質問
再来年、小学校に入学予定です。脳性まひがあります。こういう子でも普通学級に入れるのでしょうか。入るときにはどの ようにしたらよいでしょうか。
■ 答え
どんなに重い障害があっても普通学級に入ることはできます。ただ、教育委員会の就学相談に行ったり、事前に学校に行ったり 、就学時健康診断を受けたりすることによって、「普通学級には行かれません」と言われることがありますので、就学先が決まるま では、慎重に考えて行動した方がよいでしょう。
一番良いのは、就学通知が来るまでは何もしないことです。就学通知は、教委が入学する年の1月31日までに出さなくてはいけ ないことになっています。これは、「お子さんを○○小学校に入学させてください」という、いわば教育委員会のお墨付きですか ら、それで堂々と入学できます。入学後の心配なことは、就学通知が来てから学校に行って「こういう配慮をお願いします」と伝 えればよいかと思います。スロープやトイレの改修などは、やる気さえあれば、すぐにできます。
もう少し早めに学校や教委に伝えたいということがあるかもしれません。こういう場合、「就学相談」を考えがちですが、就学 相談とは、実は「相談」というよりは、子どもを特別支援学級や特別支援学校に行かせるものなので気をつけましょう。教育委員会 に行く場合は、就学相談の申し込みはしないで(就学相談表を出さないで)、「就学の相談ではないけれど相談に来た」と伝え、 「○○小学校に入るので、施設の改善などお願いします」と伝えてください。
就学時健康診断は、誰でも受けなければいけないようなお知らせがきますが、受けなくてよいものですし、受ける必要もあり ません。この目的は、障害児を見つけ出し、就学相談にかけさせて、就学先を振り分けるものです。私たちは、この就学時健康診 断にはずっと反対してきました。東大阪市の広報では「この健康診断は法律に基づいて行うものですが、どうしても受けなければな らない義務であったり、受診を強制したりするものではありません。また、この結果によって入学する学校を指定するものではあ りません」と書いてあります。こういうことを伝える自治体がほとんどなく、多くの人たちは受けないといけないと思わされてい ます。受けないと、どうして受けないのかと、学校から聞かれたりするかもしれませんが、そのときは「この学校に入ります。 よろしくお願いします」と伝えましょう。
とにかく、障害があって普通学級に入りたいと言うと、何か悪いことでもしているかのような言われ方を学校や教委からされる ことがありますが、今は普通学級に入ることが、国際条約でも勧められていますので、自信をもって対応しましょう。詳しくは「障 害児が学校へ入るとき」という本(全国連絡会編)に書いてありますので参考にしてください。また、就学時健康診断や就学相談 にかかって、こちらの思いがうまく伝わらない場合は、地元の会や、全国連絡会に遠慮なく相談しましょう。細かいやりとりの 仕方などは、全国連や身近な人と相談しながら学校や教委と対応してださい。
■ 質問
①就学相談で、特別支援学校を勧められています。それが子どものためだと言われました。「近くの学校に通わせたい」と言うと、「子どものためにならない」とひどく言われ、精神的にまいっています。
②小学校低学年です。特別支援学級にいますが、「特別支援学校に行かないと子どもがかわいそうだ」と言われました。「ここに居続けるのは親のエゴだ」とも言われました。特別支援学校に行けば、その子にあった教育が受けられるのでしょうか。
■ 答え
それはうそです。中には特別支援学校にいけば「専門」の先生がいて、その子のための教育が行われていると思い込んでいる相談員や先生たちがいますが、どこまで本当のことがわかっているのか、と思います。私たちの仲間にも特別支援学校を経験した先生や現役の先生がいますが、その先生たちが口を揃えて言うのは、「もっといろいろな子どもたちと触れ合わせたかった」ということです。いくら「個別で丁寧」に教えても、それで子どもが「伸びる」わけではありません。
特別支援教育が始まった頃に、「専門性が必要」と言われました。当時、特別支援学校の教員の多くが特別支援教育の教員免許を持っていなかったのです。そこで、免許を持った人を支援学校の先生にしなければと、免許を持っていない支援学校の先生たちにあわてて「講習」をして免許証をとらせ、その先生たちが「専門家」として現場にいます。果たして「専門性」は、そんな「講習」程度で身につくのでしょうか。それで言われるような教育ができているでしょうか。
全国連絡会には支援学校からの相談もよくあります。ひどい先生の話、子どもが否定されてばかりいる話、体罰の話、付き添いの話など、支援学校でも普通学級と同じような悩みを抱えている人たちがたくさんいます。普通学校へ転校したいという人もいます。
免許をもっていても「専門的」な教育ができるわけではありません。逆に普通学校の先生たちで「障害」児を抱えて生き生きと取り組んでいる話を聞くと、その先生たちは、専門的な知識や技術はなくても、その子と向き合い、その子の良さを認めながら、周りの子たちとその子のいることを当たり前に受け止めて取り組んでいることがわかります。
子どもは一人ひとり違います。大学で「特殊教育」を専門に学んできた先生が「この子は、私が学んできたどのタイプにも当てはまらない」と嘆いていましたが、それが実際です。教員は出会ったその子から学ぶことです。それが本当の「専門性」だと思い。
<相談> 4歳です。公的機関で発達診断を受けたら、言葉のおくれを指摘されました。このままでは、小学校の就学もどうなるか心配です。これから子どもに何をしたらよいでしょうか。
<お答え> 言葉のおくれと言っても、いろいろな場合があるので、ひとことでこうすれば良いと言うことは言えません。口の形など機能的なことが原因で発音がはっきりしない場合もありますし、なにか精神的な理由で言葉を出さない、出せないこともあるかもしれません。同じ年令でも、子どもによって成長の違いもありますから、他の子と比べて言葉が少ないとか、話し方が幼いとか感じることもあるでしょう。そこで、この年令にしてはどうかなど、他の子と比較しておくれが気になることもあるかもしれませんが、それは気にしないほうがよいと思います。子どもひとりひとりちがっていい、ということをまず考えて、言葉を発達させようなどということは考えないことです。発達診断などでは、診断者にもよりますが、子どものできないところを見つけることに熱心で、親を心配ささせるような言い方をする所もあるようなので、まずは何を言われても気にしないで、その上で、親としてできることを考えたら良いかと思います。言葉がおくれているから学校に入れないということもありません。
大事なことは、まず、子どもの話をよく聞いてあげることです。子どもが小さいときには、あるいは大きくなってからも、何を話しているか分からないけれど、一所懸命話しかけてくることがあると思います。そういうときは、とにかく子どもの顔を見ながらよく話をきいてあげてください。発音がはっきりしないからと言い直させたり、話が分からないからと無視したりしてはいけません。子どもが安心して楽しく話せる状態をできるだけつくってください。
子どもの言葉がうまく出てこないのは、赤ちゃんのときからこれまで、育ってくる中で通るべき過程を通ってなかったということがよく言われます。家庭の事情でやむをえない状況があったかと思いますが、親にあまリだっこしてもらえなかったとか、泣いていたのに相手にされなくて子どものほうが泣くのをあきらめたとか、こういうことが続くと、子どもが話すことをしなくなると言います。思いあたるふしがある方は今からでも遅くないですから、子どもをだっこしたり、いっしょにくすぐりっこやふざけっこをしたりして、子どもの心が開かれるようにしてあげてください。言葉は訓練の問題ではなく心や体と結びついています。心や体が開かれれば、少しずつ自分を表現したいと思うようになり、それが言葉にもつながると思います。話し方がうまくてもへたでもかまわないから、親子で楽しく語り合う場面をたくさんつくってあげられれば、それがいちばんよいと思います。(片桐)
<相談> この春、就学です。普通学級を希望していますが、教育委員会から就学相談で、普通級では35人の中の1人なので支援できない。特別支援学級は1対1で支援できるので支援学級を勧めると言われました。普通学級で利用できる制度はありませんか。 息子は、困った時にフォローしてくれる大人がいれば大丈夫です。
<お答え> 普通学級であろうと、特別支援学級であろうと、学校は、どの子に対しても支援しなければいけません。それは、憲法でも障害者権利条約でも言われている、子どもたちのもつ権利です。教育委員会は、お子さんを特別支援学級に行かせるために間違った情報を親に伝えています。
特別支援学級は、一般に8人の子どもに2人の担任がつくようになっています。9人以上になると16人まで担任は3人になります。子どもが8人より少ないところもありますが、1対1というのはありえません。どちらかというと様々な個性を持っている子どもたちが集まっている教室で、1人の子を見ていれば他の子は見られないというのが、現実です。数や文字の学習で一斉指導というのもありますが、その子に合わせた指導というのは、あまり期待できません。必然的に、作業や運動のプログラムが多くなります。社会や理科の授業がなかったり国語や算数の授業も普通学級よりは少なめだったりします。それが良いか悪いかはともかく、学級の体制や先生の考え方にもよりますが、ある子には、ひらがなの学習を卒業するまでやっていたりします。
最近は、特別支援学級の子が増えたので一つの学級の人数も多いところが増えましたが、地域によっては、1人のために特別支援学級を作るという所もあります。そういう所では1対1の学習が可能でしょうが、友だちもいない教室で1日同じ先生と1対1で過ごすことが、その子にとって幸せでしょうか。支援体制について、支援員制度などをつくっている自治体もありますが、支援員をつける、つけないは、こちらから要求することではないと思います。学校はどの子に対しても配慮(合理的配慮)をしなければいけません。学校が、その子に対して全力で支援をしようとしたときに何ができるか、行政と一緒になって考えてもらわなければなりません。その一つの方法が支援員をつけるということであれば、それも良いかも知れません。でも支援員がつくことは周りの子とどもたちとの関係で良いことではありませんし、担任の支援員任せにもつながります。クラスに35人いれば、そのどの子にも担任は心を配らなければなりませんが、それは教員として当然の仕事です。
普通学級希望をぜひ実現してください。子どもは子どもの中で育ちます。クラスの仲間からたくさんのことを学んでください。1対1の学習よりずっと素敵な学びができると思います。(片桐)
【 2 学校での悩み 】
障害を持つこどもは(も?!)小学校就学後、色々な問題に直面すると思われます。そのような悩みに関するQ&Aです。
■ 質問
教育委員会や学校とやりとりをして、ようやく小学校普通学級に入学しました。しかし、入学早々、子どもは落ち着かず、教室を飛び出したり授業中に声を出したりしているようです。このままで大丈夫でしょうか。
■ 答え
今の様子が、子どもの自然の姿と受け止めてください。ですから、無理に子どもにそういう行動をやめさせようとか、厳しく叱るとか、しないようにしてください。
子どもは、周りの様子を見ながら必ず変わっていきます。あせらずに、見守ってください。 私も教員生活を長い間続けてくる中で、1年生を何度も受け持ちました。それぞれいろいろ、おもしろい子どもたちに出会いました。
1学級に40人も子どもがいた時代でしたから、大変と言えば大変でした。あるときは、入学当初、ほとんどの子どもたちが緊張してちゃんと席に着き、担任の方を向いていたのが、入学後1週間もすると、少しずつ緊張も解け、授業中教室を抜け出したり、あちこち「探検」に行って休み時間が終わっても教室に戻ってこなかったりする子たちがでてきました。またあるときは、入学式のときから、式場を走り回ったりしている子もいて、次の日には教室で泣いたり、歩き回ったりする子もいました。そういう大騒ぎしながら、子どもたちは少しずつ変わっていきます。
ある子は、学校という新しい生活の場所に慣れていなかったのでしょう。入学直後から、教室に来るなり、怒って、上履きを脱ぎ、かばんを放り投げ、大声を出して、ということが毎日続き、いったいどうしたらいいか、私も困ってしまったこともありました。さすがに、いったいこれからどうなるのかと不安にもなりました。でも、困った、大変だと思っているうちに、いつの間にか、どの子も少しずつ変わっていくのです。まずは、3ヶ月、そして3学期、さらに3年問、あせらず見守っていけたらと思います。
先の例の子は、1年ぐらいかかりましたが、ほんとうに不思議なように変わっていきました。正直、この子については、ずっと無理かと思っていました。でも、勉強もその子なりにがんばるようになりました。場合によっては、3年ぐらいかかる子もいれば、もっとかかる子もいます。でも、ゆっくり待ちましょう。
先の例の子は、1年ぐらいかかりましたが、ほんとうに不思議なように変わっていきました。正直、この子については、ずっと無理かと思っていました。でも、勉強もその子なりにがんばるようになりました。場合によっては、3年ぐらいかかる子もいれば、もっとかかる子もいます。でも、ゆっくり待ちましょう。
■ 質問
母親の体調が悪く、通学の送り迎えがむずかしいため、支援を頼んでいるのですが、認められません。他の地域で通学の支援を認めているところがあるか教えてください。
■ 答え
通学支援については、これまで認めようとしない自治体が多いという話を聞いていました。それは、移動支援に関して、通年かつ長期にわたる外出(例:通園,通学,施設・作業所への通所等)は認めないという縛りがあったからです。しかし、これを逆にみれば、期間限定ならば支援してよいともとれることから、最近では全国各地の自治体で何らかの条件はつけるにしても、通学支援を認めるようになってきています。
この相談があったときに、各地からの情報を求めたところ、以下のような情報がありました。
○愛知県のN市。「移動支援」が、障害者手帳(身体・知的など)所持の子どもの通学に認められている。(予算は、福祉)小・中・高校まで申請のすべての時間が認められ、全額給付。
○東京SI区。親の障害や疾病、就労などの事由により、学校やバスポイントへの送迎が必要と認められた場合、通学等の支援の支給を決定する。
○大阪N市。(通学支援以外のことも含めて)障害のある児童生徒の就学保障のためにタクシーによる送迎を行い、介助員を各学校に配置する。医療的ケアの必要な児童については、看護師資格のある介助員を配置する。
このほか、東京SE区、A区、F市、H市、埼玉県の各地、北海道S市、神奈川県Y市、F市、新潟県N市で通学での移動支援の利用が認められています。寄せられた情報だけでもこれだけありますから、他の自治体でも、地域特性や利用者ニーズ等に応じ、それぞれの判断で実施されていることが考えられます。
○保護者の就労により送迎が困難な場合
○日中活動系サービス事業所、児童通所施設等へ通所する場合
○世帯に障害者が複数いる、ひとり親、虐待等、送迎困難と認められる家庭の事情がある場合
○保護者の疾病、入院等により一時的に通学時の送迎が困難となった場合
○通学ルートを覚えるための訓練として一時的に利用する場合
○冠婚葬祭等のために一時的に利用する場合 等々
万が一のときにもすぐに対応できるようになるといいですね。
再度、お住まいの自治体に行って、全国でこれだけの自治体が通学支援を認めていること、法的には問題なく、むしろ支援しないことが本来の主旨とは違うことをうったえてみたらいかがでしょう。子どもが学校に行けないとしたら、そちらの方がずっと大きな問題だと思います。
■ 質問
子どもが学校でいじめをうけています。担任に相談しましたが、まだ続いているようです。どうしたらよいでしょうか。
■ 答え
いじめ自殺事件がおきても、学校がすぐにはその原因をいじめと認めないということがよくあります。最近は、いじめのやり方も巧妙になって、先生が気づかないでいることもありますが、子どもたちの様子をよく見ていると、微妙な変化はあるものです。無視、仲間外し、プロレスじみたふざけっこ、いやな言葉かけ(例「こっち来ないで」)、冷たい視線、 通せんぼなどの意地悪、座席を離す…、これらの子どもたちの行動に、たとえ担任が気がついて「そんなことしてはいけません」と言っても、子どもたちは何も感じていないことが多々あります。どこか遊び感覚で、いじめとは思っていない子どもたち。相手の心を深く傷つけてい るとは思っていないように感じます。
こういう状況で担任に相談しても、「注意はしているんですが…」という程度の答えしか返ってこないことはよくあります。このようなことはどこの教室でもおきていて、「あのときはいやだった、つらかった」で、すんでしまうこともあるかもしれませんが、場合によっては子どもに深刻な心の傷を残すこともあります。おとなの見えないところで、もっとひどいことをされていることもあるでしょう。最近は、LINEなどを使ったいじめも多くなったということですから、子どもの変化には常に注意を注ぎたいです。
少しでも心配なときは、まずは、担任に状況を詳しく聞くこと、そして調べてもらうことだと思います。誰と誰がどうして、どういう関係があって、それらに対して具体的に担任はどう対応しているのか、学校全体に報告しているのか、校長や生活指導関係の先生はどう動いているのか、など。返事があいまいなときは、直接校長などの管理職に相談した方がよい場合もあります。
よく、「お宅のお子さんにも問題があるから」という言い方をされることがありますが、これは、いじめ対応で言ってはいけないことです。「障害」児の親に「普通学級に入るといじめられますよ」という言い方もおかしいです。いじめはあくまでもいじめる側が悪いのです。ただ、いじめる側にも複雑な事情を抱えている子が多く、根本的にはその問題が解決されなければいけません。どちらにしろ、まずはいじめの状況をなくさなければ子どもはたまらないわけですから、学校全体で対策をたててもらって(たとえば、いじめが起きそうな場面には必ずおとながいるなど)いじめそのものを止めてもらいましょう。また、いじめをした側に「そんなことをしてはいけません」ではなく、それが相手にとってどんなに辛い思いをさせているかをていねいに伝える指導をしてもらうようにしましょう。一番辛いのは子ども自身ですから、親がまず子どもの味方になって、学校と対応することが大切です。
■ 質問
教育委員会や学校とやりとりをして、ようやく小学校普通学級に入学しました。しかし、入学早々、子どもは落ち着かず、教室を飛び出したり授業中に声を出したりしているようです。このままで大丈夫でしょうか。
■ 答え
今の様子が、子どもの自然の姿と受け止めてください。ですから、無理に子どもにそういう行動をやめさせようとか、厳しく叱るとか、しないようにしてください。
子どもは、周りの様子を見ながら必ず変わっていきます。あせらずに、見守ってください。 私も教員生活を長い間続けてくる中で、1年生を何度も受け持ちました。それぞれいろいろ、おもしろい子どもたちに出会いました。
1学級に40人も子どもがいた時代でしたから、大変と言えば大変でした。あるときは、入学当初、ほとんどの子どもたちが緊張してちゃんと席に着き、担任の方を向いていたのが、入学後1週間もすると、少しずつ緊張も解け、授業中教室を抜け出したり、あちこち「探検」に行って休み時間が終わっても教室に戻ってこなかったりする子たちがでてきました。またあるときは、入学式のときから、式場を走り回ったりしている子もいて、次の日には教室で泣いたり、歩き回ったりする子もいました。そういう大騒ぎしながら、子どもたちは少しずつ変わっていきます。
ある子は、学校という新しい生活の場所に慣れていなかったのでしょう。入学直後から、教室に来るなり、怒って、上履きを脱ぎ、かばんを放り投げ、大声を出して、ということが毎日続き、いったいどうしたらいいか、私も困ってしまったこともありました。さすがに、いったいこれからどうなるのかと不安にもなりました。でも、困った、大変だと思っているうちに、いつの間にか、どの子も少しずつ変わっていくのです。まずは、3ヶ月、そして3学期、さらに3年問、あせらず見守っていけたらと思います。
先の例の子は、1年ぐらいかかりましたが、ほんとうに不思議なように変わっていきました。正直、この子については、ずっと無理かと思っていました。でも、勉強もその子なりにがんばるようになりました。場合によっては、3年ぐらいかかる子もいれば、もっとかかる子もいます。でも、ゆっくり待ちましょう。
先の例の子は、1年ぐらいかかりましたが、ほんとうに不思議なように変わっていきました。正直、この子については、ずっと無理かと思っていました。でも、勉強もその子なりにがんばるようになりました。場合によっては、3年ぐらいかかる子もいれば、もっとかかる子もいます。でも、ゆっくり待ちましょう。
■ 質問
教室で、子どもの席がいつも一番 前です。担任の先生は配慮してそうして くださっているのでしょうが 、他の子は 席替えがあるのに、これでいいのかと気 になります。一番前だけでいいのでしょ うか。また、今の ような疑問を担任に伝 えるにはどうしたらよいでしょうか。
■ 答え
席がいつも一番前というのは、 よくないと思います。他の子がいろいろ な席を経験するように、黒板の字が見え にくいなど特別な事情がない限り、お子 さんにもいろいろな席で学習できるよう に担任の先生に話してみたらどうでしょ うか。
こういう私も、実はまだ、教員として の経験が少ない頃、たまたまクラスにき た子をいつも一番前にしていました。 小 学4年生のその子は、字でいえば、自分 の名前も半分ぐらいひらがなで書けるか な? 数は、5までぐらいしか数 えられ ないかな? という子でした。そこで、 みんなと同じことをするのは無理かと思 い、他の子に分数の計算とかを 教えてい るときに、その子には四角いタイルを机 の上において、そのタイルの数をノート に書かせたりしていました。 他の子にい ろいろ説明しながら、ときどきその子の 机の上をのぞいて、○をつけたり、次の 指示をしたりしていました。 そのために は、その子が一番前にいてくれるのが、 一番やりやすかったのです。
ところが、あるときそれを見ていた同 じ学校の先輩教員が、「片桐、なんであの 子をいつも一番前にしているの? 一番前は、 先生にとっては便利かも知れない けれど、その子は他の子のことをいつも 見られないんだぞ。他の子と同じように いろいろな席にして、 いろんな子と隣り あったり、後ろから他の子の様子を見て いたりした方がずっと勉強になるんじゃ ないのか」
言われてみればその通りでした。私が いかに一番前で数や文字ができないから とその子用の教材を用意しても、そのこ とで彼は文字 や数が憶えられたわけでは ありませんでした。彼が文字や数を憶え ていったのは、クラスの友だちと一緒に 生活する中で楽しかったり (友だちと一 緒に近くの繁華街に遊びに行って「かま た」が読めるようになった)、必要に迫ら れたりしながらでした(鉛筆をたくさん 持ってきて友だちにとられまいと必死に なり、鉛筆の数を確認、 20 本のうちの1 本が足りないことがわかって、怒り出し た)。同時に、 授業の時間はみんなと同じ ことを彼も学んでいくことで、できるで きないはともかく、分数とか面積とか日 本の地図とか理科の実験とか、 他の子と同じように体験することができました。
担任には、気配りについての感謝の言 葉を述べながらも、親の気持ち(要望) として、今この子にとっての大事な学び は、まずはた くさんの友だちの様子を見 たりしながら、友だちから学んでいくこ とだと伝え、いろいろな席にしてもらう ようにお願いしたらどうでしょうか。
■ 質問
普通学級にいます。授業中に声を出す時があります。学校からは、支援級に行くように言われるのですが、支援級に行くつもりはありません。 今後どうしたらよいでしょうか。
■ 答え
子どもが声を出すのは「障害」ではありません。子どもの声が出たときを指導のチャンスととらえるようにできたらいいと思い ます。
松本キミ子さんは、「絵の描けない子は私の教師」という言い方で「キミ子方式」という独自の絵の指導法を提案しています。 教員にとって、どうやってその子とかかわっていいか悩ませる子との出会いこそが、最大の学びの場になると思います。
中には、「私は障害児教育の専門家」と自認している人がいますが、あまり信用できません。その子と付き合ってみなけれ ばその子のことは本当は分かりません。毎日の子どもの様子を見ながら、少しずつ信頼関係をつくり、子どもが理解できていく のです。それは経験や技術、力ではなく、とことん子どもと向き合おうとする教員の姿勢です。子どもから学ぼうという気持ち をぜひ学校の先生に持っていただけたらと思います。
子どもが声を出すのは、子どもの表現です。声は出していけないものではなくて、その声を聞くことが、先生にとって子ども が何を伝えようとしているかを知る絶好の機会です。
赤ちゃんが泣いたときに、親はその声を受け止め、理解しようとすることで、赤ちゃんは安心して声を出し、親の愛情を感じ 取ります。先生もその子が声を出したときにその子が何を求めているかを考え、受け止めようとすることで,子どもの中に先生 への信頼が生まれていきます。そして、「声を出すな」などと言わなくても必要以上に声を出さなくなります。
声を出すことで他の子に迷惑がかかると言われそうですが、他の子も授業中はうるさいものです。どういう場面で声を出した ら良いかがタイミングがつかめなくて、その子の声が目立ったりしますが、そのことで気にしているのは先生だけで、周りの子た ちはあまり気にしてはいないことが多いです。その子もどの子も、声を出すのは自然な子どもの姿なのです。それを押さえつけて はいけません。
先生には、子どもが声を出したときの場面を心に留めていただき、それが何のサインかを考えてもらえるように話してみてく ださい。まずは、「どうしたの?」と優しく声をかけてもらい、授業で退屈してい
■ 質問
この4月に小学校に入学しました。席に座っていられるか、勉強は大丈夫か、友だちに何かしないか、先生に何か言わ れないか、心配なことばかりです。
■ 答え
心配はいりません。何があっても正しいのは子どもだと思ってください。
初めての学校生活、慣れない環境の中で、子どもが落ち着かないのは自然です。席に座れないことも当然あるでしょう。 子どもによって違いますが、早ければ1ヶ月、あるいは1学期間、あるいは1年間、少しずつ子どもは落ち着いてきます。早 ければよいということではなく、あるいは席に着くことがよいということでもなく、そういう子をどう受け止めていくか は、先生の仕事ですから、先生にがんばってもらってください。
先生は大変かもしれませんが、決して子どもを悪い子と決めつけないで、楽しく付き合ってもらうようにしてください。 私の経験から言えば、席に座ってほしいときには声をかけ、あるいは手をつないで席まで連れてきたりしました。わざと 面白がって席を離れる子もいましたが、そのときは困ったなと思いながらしばらく様子を見て、座る、座らないより、どうやったらその子が授業に参加できるか をあれこれ考えたりしました。うまくいかなかったときのほうが多かったと思いますが、後から考えれば、そういうやり とりが、お互いに勉強になり、子どもの成長につながりました。
勉強もできなくていいです。できないから教えてもらうのですから、それでもできないのは子どもが悪いのではなく、 先生が悪いと思ってください。それでも、よく見ていると子どもは毎日のように成長しています。毎日新しい発見がありま す。昨日言わなかったことを今日しゃべったとか、昨日できなかったことが今日できたとか。そういう発見を学校と親と共 有していきましょう。先生が気がつかなくても友だちが教えてくれたりしますから、すぐに先生に報告して一緒に喜びま しょう。友だちと比べないこと。その子なりの変化を大事にしてください。
友だちは、先生以上にその子をよく見ています。その子のお手伝いに夢中になる子もいますが、それはほんの一時で、 ときに厳しく、ときに助け合う関係が生まれていきます。中に意地悪な子もいますが、それも大切な人間関係です。表現 がうまくできなくて、友だちの毛をひっぱったり、たたいたりすることもあるかもしれません。実は、それが友だちへの 声かけであったりするので、「友だちになりたかったんだね」などと、そこは先生に通訳してもらってください。慣れれば、 そんなことも自然に周りが受け止めるようになります。私の受け持った子で、頭突きをすることがその子の表現というこ とがありました。頭突きされると本当に痛くて大泣きする子が続出したのですが、だんだん慣れてきて、よけるのが上手に なりました。「頭突きされるのはいやだけど、でも友だち」と、周りの子は受け止めていました。そして、その子が何か言 うと、はっきり聞き取れなくても、一生懸命聞いていました。
先生には、子どもを悪い子、いけない子とは見ないでほしいと伝えたらよいと思います。
■ 質問
子どもは運動があまりよくできなくて、運動会のリレーや団体競技にはうま参加できていません。運動会での合理的配慮という のはないものなのでしょうか。
■ 答え
運動会も、教育課程の一環ですかすから、どの子にも参加が保証されなければいけません。そのための合理的配慮ということも、 されなければいけないでしょう。今年は、新型コロナの影響で運動会が中止になったり、形を変えて行われたりしているところが多いと聞きます。 中止になって、楽しみにしていたのにとがっかりする子もいれば、やらなくなってよかったと喜んでいる子も少なからずいるようです。
運動会をいやがる子の中には、運動が得意か不得意かということもありますが、強制的に並ばせられたり行進させられたり、踊らされたりすること がたまらなくいやだという子もいます。子どものための運動会がいつの間にか先生のための運動会になってしまうと、それをつらく思う子も出てくるのは当然ですし、 集団行動を強いられる学習に抵抗を感じる感性はむしろ人にとって大切なことのようにも思います。先生たちには、そういう子どもの存在に敏感になって、 本当の意味で子ども中心の運動会にしてほしいですね。
本来、日常の教科の授業でも、それが好きで楽しんで勉強する子もいれば、その勉強がいやで逃げ出す子もいるように、運動会も、みんなが同じことをしなければな らないということではない運動会であってほしいし、少しでも多くの子が楽しんで参加できるような工夫があってほしいと思います。特に、運動の不得意な子、何かの 「障害」がある子も参加できる工夫があったらよいと思います。というか、そういう子をまずは念頭において、競技種目などが考えられることが大事だと思います。 それが合理的配慮ではないでしょうか
運動会では、どちらかというと伝統的な団体競技や競争が定番になってしまいがちですが、どの子も参加できると考えたときに、それでよいかどうかも問い直さ なければいけないでしょう。リレーをやって、勝敗を競えば、当然足の遅い子のいるチームは負けることになり、その子は辛い思いをする、ということであってはいけなし、 だから、その子を走らせないのもだめでしょう。じゃあどうするか、そこを、リレーをするかしないかも含めて考えたいですね。きっとこうすればというアイデアが生まれる と思います。大玉送りで4人で玉を転がしているのに、実際は3人で転がしてひとりはその3人を追いかけていく、これもなんだか変ですね。組み体操で、危ないからとみんなが 演技している脇で立っているだけ、あるいは初めから「見学」、これもあってはならないと思います。そんなこと言っていたら運動会ができないよ、ではなくて、そこでみんなが 参加するにはどうしたらよいか考えることを、先生たち、親たちが一緒になって、運動会の最初の楽しみにしてみてはいかがでしょうか。
ピストルの音が恐くて、あるいは音楽の音が大きすぎて、参加できない子もいます。じゃあお休みくださいではなくて、そこも考えなければと思います。 その子が運動会に来られるようにするにはどうしたらよいか、そこが頭のつかいどころ、日頃、子どもに頭を使えとよく言っている先生方に、頭を使ってもらいたいですね。
■ 質問
地域の小学校の特別支援学級に通う小学校一年生の親です。入学時に、地域の学校を希望したのですが、教育委員会の担当は何度も「判定は特別支援学校。特別支援学校に行っ てください」としつこく「障害者手帳をもってますよね?でしたら特別支援学校です」とまで言われました。いろいろありましたが、ようやく地域の学校の支援学級に入ることが で来ました。しかし、通常級との交流がほとんどありません。できれば通常級の授業に参加させたいと思っているのですが、どうしたらよいでしょうか。
■ 答え
就学時は、大変だったんですね。就学時については、今でも同じようなことが全国各地で起きていて、相談窓口にいる私としてはいつも心を痛めています。就学前に全国連絡会 や地域のグループなどと連絡がとれていれば、それが「うそ」とお伝えできますし、教育委員会におかしさを指摘できるのにと思うと、私たちの存在が伝わっていなかったことは 残念です。
この話に出てくる教育委員会の対応は、ほとんど障害者権利条約、障害者基本法などに違反する行為で、親が知らないと思うと、こういう「うそ」をついて親をあきらめさせる のだと改めて思わされました。障害者手帳と就学先とは全く関係ありません。もちろん、支援学校判定が出ても、はっきり断れば、強制的に行かせることはできません。本人・保護 者のの希望が尊重されることは、障害者基本法にはっきり書かれていますし、そのような情報を提供することもしなければいけません。そういう情報を隠しておいて、自分たちの考 えを一方的に押しつけようとするのは許せません。最近、特別支援学校の子どもの数が増えたと言われていますが、その理由がよくわかります。
大変辛い思いをされたと思います。教育委員会や学校が障害児、その親を苦しめることはあってはいけないことです。何が「特別支援」か思います。障害があっても、だれでも地 域の学校に入れるのです。
お尋ねのことですが、支援学級に入っても、普通学級との交流がほとんどないのが、多くの地域の実態です。強く希望して学校(先生方)が了解すれば、不可能ということはないか もしれませんが、できているところはあまりありません。もし、みんなといっしょにということならば、普通学級に転級するのが一番よい方法かと思います。
これも、そう簡単にはいかないことが多いのですが、あきらめずに手順を踏んで話を進めればできないことではありません。そういう場合は連絡ください。学校や教育委員会との 対応についてアドバイスできるかと思います。少しでも応援できればと思います。全国連絡会の関係では、多くの方が転級を実現しています。
相談では、高校も普通高校へ行きたいとのお話でしたが、全国的に、高校も当たり前に行こうという運動も進んでいます。目標を大きくもって前へ進んでください。
■ 質問
①特別支援学級在籍です。ふだんは支援員が付いているのですが、その人が休むと付き添いをして欲しいと言われます。 先日は、先生が休んだら子どもが家に帰されました。こういうことは仕方がないのでしょうか。
②特別支援学級在籍です。特別支援学校へ転校するように言われたのですが、転校しなくてはいけないものでしょうか。
③特別支援学級在籍で、子どもは発達障害です。その障害ゆえの行動に対して担任が強引に指導するため、子どもは不安に なって落ち着かなくなったところ、今度はその行動を大声で叱りつけるため、とうとう子どもは学校へ行けなくなりました。 担任になんと話したらよいでしょう。
■ 答え
①については、こんなことがまだあるのかという話です。親の付き添いを要求することだってあってはならないのに、先生が 休んだら子どもを学校に来させないというのは、ゆるされません。付き添いは、本来させてはいけないことになっていますから (文科省は、交渉時、親が承諾した場合はやむを得ないと言っていた)はっきり断ることです。子どもを休ませることは子ども の教育権を奪っていますから、明らかな法令違反です。もし学校に行ったところでそういう話をされたら、その場で地元の人権 団体(子どもの人権110番など)に電話して対応してもらいましょう。
②の相談は、実に多い話です。特別支援学級の先生たちみんなというわけではないのでしょうが、自分たちにとって教えにく い子どもがいると、その子を特別支援学校に行かせようとする傾向は強いです。そのせいか、支援学級が特殊学級にと言われてい た頃にはいろいろな子たちが特殊学級にいたのですが、最近では何でもよくできて、なんでこの子がと思われるような子が特別支 援学級にたくさんいて驚きます。特別支援教育が始まって、ますます子どもが分断されていることを感じます。特別支援学校へ行 くことを勧められたら、はっきり断ればいいのですが、子どもにとってよりよいところをと思っていると、その心の隙をつかれま す。「障害」の軽重に関係なく、みんな一緒に普通学級が一番いいと思いますし、特別支援学校に行けと言われたら「それなら普 通学級に行きます」と言うのはどうでしょう。
③は、特別支援教育の教員の専門性と言われますが、支援学級や支援学校の先生のもつ「専門性」が何も役に立っていない例 ですね。「支援」には、子どもの「障害」を「治そう」という考え方があるため、子どもに寄り添う指導にはならないのです。 担任の先生には、まず子どものありのままを受け入れることをお願いしてください。
■ 質問
特別支援学級から普通学級に転級したところ、就学奨励費を出せないと言われ、前年までもらっていた就学奨励費が出なくな りました。市の考えでそうしているというのですが、受け入れるしかないのでしょうか。
■ 答え
おかしいですね。そんなことはないはずです。就学奨励費に関する市の決まりがあるのかどうか確認してみてください。もしかす ると、学校や市の担当がよくわかっていなくて、「 普通学級にいる子には出してはいけない」という思い込みでやっている可能性が あります。
就学奨励費の制度は、50年以上前から、養護学校、特殊学級に通う児童・生徒に対して遠方の学校に子ども(「障害」児)が就学 するための経済的負担を軽減するために設けられ、学用品、通学費、寄宿舎費、修学旅行費等に支給されています。文部省(現文部科 学省)は普通学級に「障害」児はいないものとしてきましたから、当然、普通学級の児童・生徒は支給対象にはなっていませんでした。
しかし、現実に普通学級にも「障害」児がいることから、2011年、当時民主党の国会議員、那谷屋さん、石毛さん(全国連世話人) 、金子さんなどの働きかけで文科省も動き、2013年(言葉は気に入りませんが)「インクルーシブ教育システム」構築事業の中で、 「就学奨励費の支給拡大」を打ち出し、「学校教育法施行令22条の3に該当する普通学級で学んでいる児童・生徒に対しても特別支援学級 に在籍する児童・生徒と同様の就学奨励費を支給する」として大幅な予算増をしています。
これによって、全国の自治体は普通学級にいる「障害」児にも就学奨励費を支給するようになりました。ただ、自治体によって温度差が あり、普通学級の子にも積極的に受け取りを勧めるところもあれば、何もしないところもあり、就学奨励費の存在すら知らない普通学級の 親子もいたかと思います。
全国連絡会の会員の間では、就学奨励費を受け取るか受け取らないかでの議論もありました。会としては、特に受け取った方が良いとか、 受け取らない方が良いという方針は出していません。それぞれの考え方を大切にしたいと思っていますが、せっかく議員たちが苦労して勝 ち取ったものだから、積極的に受け取ろうという声もありました。
ご相談の件は、文科省の経過をふまえない滅茶苦茶な対応です。再度、市や学校に確認して、支給するべきではないかと伝えてください。
もしかして、この記事で初めて就学奨励費のことを知ったという方があるかもしれません。普通学級の「障害」児の親にそれを知らせてい ないというのは、学校の怠慢ですが(支援級、支援学校では必ず伝えている)、希望したいとか、内容を知りたいという方は、管理職に尋ね てみてください。事務職員がよくわかっているもしれません。
また、経過を詳しく知りたいという方は、2013~4年の会報(313,319,320,323号)に、「私はもらわない」という意 見も含めて関連した記事がありますので参考にしてください。
■ 質問
小学校低学年です。学校には「みんなと同じ教材で、同じ経験を」とお願いしていますが、校長は「基礎がないと次には進めな い。文字はまずひらがな、次はカタカナ、次は漢字の読み、次は漢字の書き。算数は、足し算ができてから引き算」といった具合 です。先生が線引きして目標設定してしまうと、普通級にいるのに特別支援級にいるようになってしまわないかと心配になります。
■ 答え
段階を踏んだ学びは確かに大切ですが、その段階の踏み方は子どもによって違います。ひらがなよりも先に漢字をおぼえる子も いますし、足し算より引き算から先にできるようになる子もいます。授業でできないことがあったからと言って、その子だけ別メ ニューを用意するのはよくありません。できる・できないは別にして、みんなと同じように学んでいく中で、その子なりの学びを 大切にしたいものです。
かつて私が受け持っていたのぶちゃんは、高学年になっても数は5ぐらいまでしか数えられませんでした。ある日、鉛筆を20本 ぐらい持ってきて自慢していたことがありました。ところが、そのうちの1本がなくなったと言って怒り出したのです。5ぐらいま でしか数えられないのぶちゃんが、20本のうちの1本がないことがわかるというのは不思議でした。でも盗られてはいけないとい う必死な思いが、彼なりの数え方を生み出していたのだと思います。
またある日の休み時間、友だちどうしの会話の流れで、私が「のぶ、200円で50円の物がいくつ買える?」と聞いたところ、 「ウーン」と少し考えて「4つ」と答えました。足し算も引き算もかけ算もできないのぶちゃんでしたが、割り算ができたので す。計算ができないのぶちゃんでしたが、友だちとお金をもって買い物に行くことはよくありました。そんな経験から、のぶち ゃん流の計算ができるようになっていたのです。
人にとっての学びとは、その人の生活の中での必要とか、楽しみとか、意欲とかから始まるのではないでしょうか。ノートに 書いてする計算や文字だけが勉強ではありません。たとえ、計算ができなくても、計算機はあるし、誰かに助けてもらってもよい のです。無理して「段階を踏まなければ」と、子どもどうしの関係を切ることの方が、ずっと学びの妨げになると思います。
わかってもつまらない授業と、わからなくても楽しい授業とどちらが良いかということが言われます。当然、わからなくても楽 しい授業がいいですね。英語のテストは0点でも英語が大好きという中学生がいました。中学に入ったら理科が好きになった子も いました。なんだかわけはわからなかったけどおもしろかったという経験は、多くの方がしているのではないでしょうか。
■ 質問
今年、小学校に入学しました。入学当初は教室にいられなかったり、宿題ができなかったりして大変でしたが、周りの子もよくし てくれるようになり、勉強の遅れはありますが、字や数に興味をもつようになって、少しずつおぼえ始めました。ただ、学校がつけて くれた支援員や言語指導(個別)の通級の先生にはなつかなくて指導を受け入れず、これで良いのかと思ってしまいます。あいかわら ず、ふらふらしたり寝転んだりしていることもあるようです。どうしたらよいでしょう。
■ 答え
この欄にいつも書いていることですが、これが子どもの自然の姿です。何も心配することはありません
学校(先生)は、みんながきちんとしていたほうが教えやすいですから、ちゃんと席に着いている子を「良い子」、先生の指示に従わ ない子は「悪い子」と長年教えてきました。そして、学校教育を受けてきた多くの人たちは、私も含めて学校ではそうするものだと思 い込まされてきました。ですから、おとなの目から見て勝手なことをする子はよくないとつい思ってしまい、困った子だとか、なんとか 直させなくてはと、考えてしまいます。でも、本当は、そうではないのです。
ちゃんと席に着いている子もいればふらふらしている子もいる、というのが自然な子どもたちの姿です。つまりいろいろな子がいてい いのです。あわてないで、子どもたちのそういう自然な様子を見守っていきましょう。
子どもたちは、お互いに様々な関係をつくりながら育っていきます。ひとりひとりの成長の様子は違いますから、他の子と比べて「遅れ ている」とか思わないで、その子なりの成長を見つめてあげてください。ふらふらしていた子が落ち着いて勉強するようになったり、他の困 っている子を助けたり、思わぬ成長をしていることにある日突然気がつくことがあるはずです。
ご相談の方も、お子さんが字や数に興味をもち始めたと言われていました。私はすごいことだと思います。何も字が書けなかった子が字 をおぼえ始めたのですから。他の子がたくさん字を書けるようになったとか、遅れているとか、気にしないでいいのです。その子ができたこ とを子どもといっしょに喜びましょう。
支援員や通級の先生になつかないのも自然なことと思います。これは、自分を特別扱いしないでほしいという子どもの主張かもしれません。 周りの子と違うことはしてほしくないとその子は感じているのです。これも成長の一つだととらえてください。こういうときは、支援員はでき るだけその子と離れたところにいるようにしたらよいでしょう。個別ではなく、みんなといっしょに勉強したいと思っているわけですから、 通級(個別指導)は、お断りするのがよいと思います。
子どもは、必ず変わります。焦らず、長い目で子どもの成長を見守られたらよいと思います。
■ 質問
小学校低学年の子です。もうすぐ運動会で、担任からダンスの練習中に寝転んでやろうとしないので本番が心配と言われまし た。踊ることは好きで音楽が鳴れば喜んで踊る子です。昨年は違う担任でしたが、子どものことを理解してくれて、本番では子ど もも楽しそうに踊っていました。担任にはどう話したらよいでしょう。
■ 答え
大丈夫です。担任には、子どものありのままの参加の仕方を受け入れてもらうようにお話しください。音楽も踊りも好きならき っと楽しく踊ると思います。でも、もし本番で寝転んでいても、それもひとつの参加の仕方と思って受け止めてください。
踊るということは、自分の心の表現です。うれしいことがあったり、楽しい音楽を聴いたりすると体を動かしたくなるという、 自然の動きです。でも反対のときもあります。動きたくない、静かにしていたい、今は何もしたくない、そんな気持ちになること もまた自然です。そんなときは無理して動く必要はありません。そこで無理したら心のバランスを崩します。動きたくないときは 静かにしているのが一番良いと思います。
運動会で楽しく表現したい、学校ではそんな子どもの気持ちを踊りという形で表せたらと、指導しているのだと思います。
ただ、私も教員の経験があるので分かるのですが、指導に夢中になると、子どものことより、周りがどう見るか、どう見られ るかが指導の中心になったりします。そのため、子どものための運動会ではなく、先生のための運動会になったりします。
そんな運動会の練習を見ていると、一つ一つの動きを何回もチエックして、暑い校庭で音楽もかけず、怒鳴り声の中、同じこ とを繰り返していたりします。そうなると、楽しいはずの踊りが、子どもにとってはつらいものになります。子どもたちは、素直 で気持ちも広いので、そういう先生に「同情」?して、「まあ言うことを聞いてやろうか」と無茶な要求も受けいれるので練習も 成り立つのですが、自分に正直な子は、楽しく踊りたいのに何で細かい所まで強制されなければいけないのかと不信に思ったり、 だらだらやっていたり、場合によってはやってはいられないと寝転んだり、どこかに行ってしまったりする子もでてきます。それ は、先生から見れば困った、いけないことですが、子どもの立場に立てば、自然の行動です。
そろって美しく見せるとか、手足をまっすぐ伸ばすとか、きれのよい動きをするとか、そういうことも指導のひとつとして大事 かとは思いますが、学校にはいろいろな子がいて、それがうまくできない子や、集団行動の苦手な子もいることを、先生方はよく 知って配慮しなければいけません。
運動会の嫌いな子(人)のいる話は良く聞きます。感性の良い子ほど無理に何かさせられるのをつらく感じます。それは子ども が悪いのではなく、みんな同じでなければいけないと考える周り(学校)の問題です。「みんなちがってみんないい」を思い出し たいですね。何よりも運動会は、いろんな子がそれぞれに楽しく参加することですし、楽しくありたいです。いろいろな参加の仕 方があって良いのが運動会だとお考えください。
■ 質問
「障害の社会モデル」はとても素晴らしいしもっと広まってほしいと思いますが、障害のある子を育てるにあたって、何もかも 子どもを周りに合わさせなくてもよい、というのはさすがに無理があると思います。どこまで子どもを合わさせるべきか、わからず に悩んでいます。たとえば学校の宿題を嫌がる場合、嫌ならしなくていいよ、と言うべきか、みんな嫌でも頑張ってやってるんだか らあなたもやりなさい、と言うべきか、など…
■ 答え
そうですね。親として教員として、子どもの行動をどこまでゆるしてどこで止めるかは、いつも悩むところです。いくつか私の体 験をお話しします。参考にしてください。
小学校に入学したばかりの子が、席になかなか着かなかったり、教室を飛び出していったりすることはよくあります。これは慣れな いところでの不安によることが多くて、そういう場合は無理に席に着かせたりしないでしばらく様子を見ています。気持ちが落ち着く に従って自然になくなりますから、ゆっくり見守っていれば良いと思います。
高学年になっても、教室からふらっと出て行ったりする子もいました。そんなとき、私は自分の授業の質が問われていると考えまし た。その子が教室にいたいと思う授業ができるかどうか、その子の興味や特技を生かした授業をすることで、少しは「外出」を食い止 めることができたこともありました。
子どもによっては、先生の関心を引きたくてちゃちゃを入れたりしてわざわざ授業の邪魔をしようとする子がいます。初めは相手 にしないでいると、どんどんエスカレートして、前に出てきて先生が黒板に書いた字を消したり、こちらが困りそうなことをどんどん やってきます。それでとうとうこちらも怒り出してしまうことがありました。人間ができていないと思うのですが聖人ではいられませ んから、そういうときは怒りをぶつけてもこちらの思いを伝えました。子どものやりたいことを何でも認めるということはよくないと 思います。他の子が傷つくことを言ったりしたときは、特にそれはいけないとはっきり伝えます。場合によっては、その子と取っ組み 合いになったりします。ただ、そうやって子どもは関係を求めているので、取っ組み合いながら、その子と真剣に向き合っていること を伝え、分かってもらうようにします。
授業中、絵をかいたり、粘土をしたりして気持ちを安定させている子がいました。他の子に事情を話して、お互いの気持ちの整理 の仕方を認め合うことをわかってもらいました。
集団行動の苦手な子、音の苦手な子、テレビの苦手な子、そういう子に対して不満を持つ子、そんな子たちが考え合いながら、一緒 に過ごすことを学んでいくのだと思います。子どもの行動には必ず理由があります。なんでそういう行動をするのかを考え、少なくとも 子どもを否定しないで、一緒に生きる姿勢を大事にしたいです。宿題は無理に全部やらなくても、約束しながら子どもの出来る範囲で1日 1題とか2題とか決めてやったらどうでしょう。もっとも宿題はやらなくてもいいです。学校で先生がしっかり教えればいいことですから 。私も昔は宿題を出しませんでした。親に言われて出すようになりましたが。
■ 質問
発達障害のある子で忘れ物をよくします。担任は、子どもが忘れ物をしてもそのまま授業を進めます。多分、忘れものを今後 しないようにするためにそうするのかと思います。確かに忘れ物をするのはよくないと思いますが、忘れ物をしたからと言って、 何も配慮しないで子どもが忘れ物をしなくなるとは思えず、実際に授業で子どもが困っていることを考えると心配です。担任に どのように話したらよいでしょう。
■ 答え
子どもは学ぶために学校に行っているのですから、授業も学びやすい状態で受けられるように先生は配慮しなければいけません。 もし授業に必要な物を子どもが持っていなければ、先生はそれを子どもに貸すなどして学習ができる環境を用意する必要があります。
かつては、生活が厳しくて鉛筆やノートの用意できていない子に、先生があらかじめそのつもりで教室にノートや鉛筆を置いてお いたりしました。最近はそういうことは少なくなりましたが、例えば三角定規などを忘れる子が多いことから、机の中に貸し出し用の 三角定規や分度器をたくさん入れておいて、「忘れた!」という子がいると渡している先生も多いです。
先生によっては、忘れ物が子どもに多いのを気にする人もいて、忘れ物をさせないように忘れ物表を作ったり、連絡帳にその都度書か せたりする人もいます。しかし、そんなことをしても忘れ物はなくなりません。それは、人間は忘れる動物だからです。忘れ物をしない人 はいません。忘れ物をしてはいけないと気にしすぎることは、かえってよくないと思います。忘れ物表を教室に貼り出せば、忘れ物をしが ちな子をみんなの前に公表することになるわけで、これはやってはいけないことだと思います。まして、忘れ物をしたからその反省のため に授業で困らせようというのは、子どもの学習権を奪うことになりますので、やめてほしいです。水泳指導などで子どもがプールカードを 忘れたときに、忘れたあなたがいけないと、よくプールに入らせない先生もいますが、これも子どもに授業を受けさせないわけで基本的に はやってはいけないことです。親の承諾が必要なら、電話をかけてでも確認し、少しでも子どもが授業を受けられるように先生は努力しな くてはいけないと思います。
忘れ物をしたら、「今度から気をつけよう」とそれだけでいいのです。一番困った、しまったと思っているのは、本人ですから。たまに 喜んで忘れ物をしてくるみたいに見える子がいますが、先生から物を借りることで先生との関係を確認しているのかもしれません。担任の 先生には、「忘れ物をしたときにはできるだけ貸すなどして、子どもの学ぶ権利を保障してください」と伝えてください。
■ 質問
①テスト中に子どもが声を出すので別室で受けてくださいと言われました。できたらみんなと同じ部屋で受けさせたいのですが。②テストのとき、うちの子だけ別のプリントをさせられました。子どもはいやがっています。先生にどう言ったら良いでしょう。
■ 答え
北海道の「どんなに障害が重くても地域の学校へ」という会報の中にこんな話がありました。子どもが少しは授業を理解しているのに、テストはいつもできていない。あるとき、子どもは問題の意味や書き方がわからなくてできていないことに気がついた。そこでそれを担任に伝えると、担任はテストのときに問題を読んでくれるようになった。そうしたら、社会のテストがよくできた、というのです。
テストは、何のためにするのでしょうか。今の学校では、子どもの成績をつけるためというのがその一番の目的のようになっています。そのためにテスト中は、子どもたちは机をあっちに向けたりこっちに向けたりしてカンニングのないように、もちろん声も出せない、落とした物も拾えない、まるでどこかの入学試験のような雰囲気で行われているところが多いようです。入学試験ならともかく、こんなテストのやり方をしていたら、子どもたちが助け合って学ぶという学校の本来の姿とは全く逆のことになって、学校が競争空間になってしまうのではないかと不安になります。
テストというのは、子どもにとっては自分がどこが分かっていないかを見つけ、先生にとっては自分の教えたことが子どもにちゃんと伝わっていたかどうかを調べるためにあると、私は聞いてきました。だから、テストを通してできなかったところや分からなかったところをみんなでわいわい言いながら学び直せば、それで十分だと思います。それでは成績が…、と言う人もいるかもしれませんが、テストでつけられる成績などおおよそあてにはなりません。
業者が作ったテストを子どもに買わせてテストをして、それで子どものことが本当に分かるのでしょうか。忙しい先生にテストを作れというのが無理なら、せめて楽しくテストをしてほしいですね。みんなでわいわい話したり教え合ったりしながら問題を解くとか。
そこまではしなくても、先生が問題を読んであげたり、漢字にルビをふったり、問題の意味の分からない子どもには説明したりすることは、必要に応じてやってほしいですね。
テストとはそんなに厳密ではないと考えてください。少し声が出たから別室なんてやめてくださいと、先生にはっきり伝えましょう。また、みんなと違うことをその子だけがやらされるのはまちがっています。できてもできなくても、みんなと同じことをしてくださいと、しっかり伝えましょう。
■ 質問
中学生です。1学期の通知表が全部「C」でした。提出物を出せば少しはよくなると言われたので、2学期は子どももがんばって提出物もちゃんと出したのに、やはり全部「C」でした。子どもは、がっかりしてやる気をなくしてしまいそうです。学校にどう言ったらよいでしょうか。
■ 答え
通知表でどう評価するかについては、学校ごとに定める「評価規準」というものがあって、それをもとにつけているところが多いです。その評価規準は、指導要領にそった形でつくられるのが一般的です。知識や技術でこういうことができてほしいという評価もありますが、興味とか関心とか親しむとかの態度も指導要領には示されていて、そういった子どもの様子も評価されなければいけません。テストの点数が低くても、その子なりのがんばりがあったり、興味をもって学習に取り組んだりしたとすれば、それも評価されるのは当然です。
もともと通知表は、法的にはあってもなくてもいいもので、通知表のない学校もあります。なくてもよいかと思いますが、つけるなら、それを見て子どもが次の学習にどう関わるかの参考や励みになるものでなくてはいけないと思います。周りの子と点数では大きな差があったとしても、その子なりの成長があれば、良い点をつけても問題はありません。逆に、通知表を見てその子がやる気をなくすようなつけ方をするのはあまりよくないと思います。
通知表の評価は、子どもの評価とともに先生自身の評価でもあります。子どもがいつもよくない成績であるとすれば、まず、先生が自分の教え方や子どもの見方を反省しなければいけません。1学期も2学期も「C」であるなら、先生はうちの子とどうかかわってきたのかと、聞いてみたらよいと思います。
中には、他の子には評定をしているのに、特定の子には何もつけていなかったり、ある教科だけ斜線で記入したりされる場合があります。授業に参加しているのに評価がないというのは、その子の存在を認めていないことですから、こんなときは強く抗議しましょう。
子どもがもらってきた通知表に疑問をもったら、まずは担任に聞いてみるのがいいでしょう。そのときにこの学校の「評価規準」はどうなっているかとその表をみせてもらうとよいかと思います。そこにはテストの点数だけではない、評価のしかたが書いてありますので、お子さんの場合はどう評価されたかを確認してみてください。
<相談> 今、特別支援学級に在籍していますが、普通学級に転級したいと思います。どういう手続きが必要ですか。
<お答え> 同じ学校内での転級であれば、校長の判断で転級できます。ただ、決断力のない校長は、区や市の教育委員会の「就学相談」を受けるように言ってくるなど、転級そのものをいやがり、なかなか転級できないようにすることが多く、実際にはなかなか話が進みません。こちらも気持ちを強く持って転級希望を伝えていかないと、なかなか転級できないことが多いので、気をつけてください。
一般に、就学時に普通学級か、特別支援学級、特別支援学校を決めるときには、(これも大変なところがあるのですが)「障害」があっても普通学級という希望はまだ通りやすいです。しかし、いったん特別支援学級、特別支援学校を選んでしまうと、そこからの転級、転校は、就学時よりずっとハードルが高くなります。これまでの例をみると、転級したいと言い出してから転級するまで、2~3年かかったというのは普通で、結局転級できなかったということも少なくありません。全国連絡会に相談のあった事例で、現在も転級や転校ができない方もいま。(これらについては、次号で詳しくお知らせする予定です。)
普通、転級したいという場合、まずは担任にその希望を伝えることが多いかと思いますが、担任は、「こんなにできないことがあるのに、普通学級は無理だ」と言うことが多いです。担任してみれば、自分のやり方が否定されたと思ってしまうらしく、まずは、そこで話が止まってしまい、担任もそれ以上話を進めようとはしません。ですから、まず「できる、できないで転級するのではなく、同じ学年の子たちと一緒に過ごさせたいのだ」ということを伝え、転級するにはどういう手続きが必要かを聞いてみてください。
手続き的には、希望を校長に伝えればいいだけの話ですが、担任が消極的だと、そのままにされてしまいます。その時は、直接、校長に話しに行くことも考えておきましょう。校長も、消極的だと、あいまいにしようとするので、そこでもどういう手続きをしたら良いかを聞きましょう。そこでよくあるのは、「就学相談にかかってください。」です。自治体によっては、就学相談の判断がないと転級できないと決めているところもあるので、一応就学相談を受け、その判断が転級を認めないとなっても、「本人・保護者の希望を尊重してください」と最後まで言い続けることが大事です。 (片桐)
昨年も、たくさんの相談が全国連絡会に寄せられました。相談内容としては、就学前に、普通学校(学級)を希望しているのに特別支援学級や特別支援学校を強く勧められるというものが相変わらず多くありました。年中とか年小、あるいはもっとお子さんが小さい方からの就学先をどうしようか迷っているという相談もありました。もうひとつ多かったのは、特別支援学級にお子さんを通わせている保護者の方からの相談です。
学校(先生)の対応がよくなく、子どものことをちゃんと見てくれない(教えてくれない)、あるいは特別支援学校に行くように言われている、などです。その他、特別支援学校の対応がひどくて普通学校に転校したいという相談や、担任が子どものできないことばかりを言ってくるといった相談もありました。そういう中で例年に比べて多かったのは、特別支援学級から普通学級へ転級したいという相談でした。入学するときには特別支援学級に入れてしまったが、他の子どもたちと一緒の教室で学ばせたいというものです。高学年での相談もありましたが、小学校2、3年生での相談が数的には多かったです。
これについては、先の会報4月号(413号)の「相談からコーナー」にも書きましたが、特別支援学級の担任に普通学級へ行きたいと言うと、ほとんどは、「とんでもない、無理です」とあっさり断られてしまいます。それで、「何度、言っても聞いてくれませんが、どうしたらよいでしょうか」という相談のメールや電話が来ていました。これも、前にも「相談からコーナー」で書いたように、担任には転級を止める権限も転級させる権限もありません。とりあえずは校長へ、さらに教育委員会の窓口に行って希望を言わないと話は進まないと伝えました。
保護者がそうやって動いたときに、多くの学校でとるパターンが、「それでは交流して様子を見ましょう」というやり方です。学校としては、「交流して普通学級での学習が可能なら転級してもよいですよ」というのです。これは、学習がうまくいかなかったら転級させないということの裏返しで、結局はできないことの方が多いと「転級は無理です」という結論を出して話を止めたり、「交流時間をもう少し増やして様子を見ましょう」などとずっと交流を続けて結論を出さないままにしてしまったり、という例が多いです。転級するのは、何かができるようになったからではなく、当たり前にみんなと一緒がいいからだということを強調して「交流はいいから、○年になったら(○学期になったら)転級します」と期限を切って、希望を強く言うようにと勧めてきました。
転級の話を進める段階で教育委員会の就学相談にかけるように言われるところもあります。ここは、できる・できないで子どもを「判定」するところですから、話がそこで止まってしまうことが予想されます。就学のときに苦労したから、二度と就学指導委員会にはかかりたくないと思っている方も多いかと思いますが、まずは就学相談ははっきり断るか、それが通らないなら相談を受けてもその判定結果には従わないことが大切です。昨年は、特別支援学級判定が出た子に対して、判定が出たのだからと転級をなかなか認めようとしないことがありました。そこで、全国連絡会も関わって学校、教育委員会に障害者基本法の「本人・保護者の意向尊重」をしないのは法令違反だと伝え、転級を認めさせました。このときは、その子の学校が学区域外だったため、普通学級に移りたいなら学区域の学校に転校しなければいけないと、ある種の意地悪をされましたが、本来の学区の学校がいいと、その子は転校して新年度から普通学級に通っています。 このように、最後までがんばればなんとか転級できますが、転級希望を担任に伝えることから転級実現まで、2年、3年とかかってしまうことが多く、今も相談が続いている方も多いです。これらの相談も、なんとか保護者と協力しながら良い方向にもっていけたらと思っています。
<相談> 今年就学しました。就学支援シートを出さなかったから、支援員をつけるのが遅くなったと言われました。入学後お漏らしが始まり、おむつを付けることを強要されました。支援員がつけられないという理由です。就学支援シートを出さなかったあなたのせいだと言わんばかりに聞こえました。就学支援シートを出した方がよかったでしょうか。
<お答え> 就学支援シートを出す必要はありません。
入学時に就学相談を受けなさいとか、就学支援シートを出しなさい、とか言われることはよくあります。これらに従わなかったら、「相談を受けていないから支援員がつけられません」「設備改善が遅れました」などと、学校が支援できないのは親のせいだと言わんばかりの言われ方をすることはよくあるようです。宿題を出さない子どもに何らかのペナルティを与えないと気がすまない学校(先生)の体質がこんなところにも出ているのかとがっかりします。就学相談を受けないとか、就学支援シートを出さないとかで、子どもに不利益があってはいけません。学校は、何があろうとも子どもにとって最善の環境を用意しなければなりません。それが「合理的配慮」です。親が相談を受けなかったり書類を出さなかったりしたことを理由に「配慮」しないということはゆるされないことです。
就学支援シートは特別支援教育が始まってしばらくしてから東京で始められたと記憶しています。他県でも自治体によっては取り入れているところもあるようですが、法的根拠はありません。出せばその子は「特別支援教育」の対象となります。親が子どものことを知ってもらいたいと思って出すのはかまいませんが、文書にして残すとどうそれが使われるか、誰が目にするか、という不安は当然ありますし、特別支援学級や特別支援学校へ行かせるための根拠として使われる可能性もあります。学校に伝えたいことは、入学前に直接学校に話せばすむことです。細かい話は、入学時に担任が分かったところで担任と話すのが一番よく伝わると思います。
おむつをするかしないかは、子どもによって違うかと思いますが、一度おむつがとれた子であれば、しないで学校生活がおくれればよいかと思います。お漏らしが心配であれば、パンツを何枚かおいておき、必要なときに取り替えればいいのです。誰が手伝うかは、担任でよいと思いますが、それが大変というなら支援員をつけるとか、校長がするとか、学校がその方法を考えればいいのです。ちなみに私が担任だったときには、自分でやりました。それは、子どもと遊んだり、話したりすることと同じでその子とのコミュニケーションの機会にもなりました。学校に要求されても、子どもにとって良くないと思えることは、「おむつはつけません。お漏らししたときはよろしくお願いします。」と、はっきりことわりましょう。 (片桐)
【3 学校から何か言われたとき 】
就学後、障害を持つこどもの保護者は学校から色々、理不尽とも思われる要求、声掛けを受けることがあります。そのような悩みに関するQ&Aです。
■ 質問
①おむつをしているからとプールに入れてもらえません。
②車いすの子は、危険だからプールに入れないと言われました。
■ 答え
今年もプールに入れてもらえないという相談がいくつかきていて、まだ日本の教育はこんな程度かとがっかりします。パラリンピックの成功を言う前に、プールに入れない子を入れるようにすることのほうが、よほど大事な行政の役目だと思うのですが…。
学校は、教育をするのが仕事で、教育を受けさせないということはあってはいけません。障害者権利条約では他の子(人)と違う扱いを受けることが「障害」であり、その「障害」を除去するための配慮が「合理的配慮」であると言っています。つまり、この場合、子どもがみんなと一緒に入れるようにすることが「合理的配慮」なのです。入れさせないことではなく、入れ させることが管理者の責任です。
おむつをしている子は水をよごすというのであれば、おしっこも汗と同じ成分ですから、汗をかく子も入れさせられません。うんちは、確かに大腸菌に問題がありますが、実はどの子にもおしりにうんちはついているわけで、その子だけが拒否される理由にはなりません。つまり、おむつをしている子がプールに入ってはいけない理由は何もないのです。
「車いすの子は危険」についても同じです。危険は、どの子にもあるわけで、すべての子について、どういう危険があり、そのためにどういう手立てをしようとしているかを学校は明らかにしなければなりません。車いすの子だけ手立てができないというなら、それは明らかな障害による差別です。
実は、この子たちがプールに入れない「障害」は管理者の差別心だけなのです。入れさせられない本当の理由は何かを聞いて、それが上記のようなことであれば、その間違いを指摘し、他に理由がなければ、入ることに問題はないのではないかと確かめてみたいですね。
入れさせない努力ではなく、入れさせる努力をしてほしいと言ってください。
〈参考〉
学校のプールで子どもが大便をしてしまった場合の健康への影響について、東京都福祉保健局健康安全部環境衛生課は、「塩素が消毒するので問題ない。プールの水を取り替える必要すらない」と言っています。また文部科学省の【改訂版】学校環境衛生マニュアル「学校環境衛生基準」の理論と実践の第4水泳プールに係る学校環境衛生基準 1水質 A検査項目及び基準値の設定根拠の解説では、 (1)遊離残留塩素の説明に遊離残留塩素濃度0.25mg/ で大腸菌が死滅するとの記載があります。学校のプールは残留塩素濃度が0.4mg/ 以上であることを求められているのですから、プールで大便をしてしまっても全く問題はありません。おむつをしているかどうかなんて論外です。
■ 質問
中学生です。近く、宿泊行事があります。今、学校に呼び出されています。宿泊行事で付き添うように言われそうで す。親としては付き添いたくないのですが、どう返事をしたら良いでしょうか。
■ 答え
「行きません」と、はっきりことわりましょう。
宿泊行事も、学校教育の中の一つです。何らかの事情で手助けが必要な子もいます。かりに「障害」があって手がかかる、安全上心配、医療的ケアが必要であるな どの子もいるかと思いますが、それは、親がすることではありません。学校や行政が、人手を増やす、看護師を配置するなど工夫してその子がみんなと同じよう に参加できるように配慮しなければなりません。ですから、もし、その手立てができなくて親に頼むとするなら「大変申し訳ありませんが、今度の宿泊行事にどうしても人手を増やすことができないので、おうちの方に行っていただけないでしょうか」と、頭を下げてお願いする話です。
もっとも、予算がないとか人手がないというのは、親に付き添わせるための口実でしかありません。オリンピック、パラリンピックにどれだけのお金を使って いるかということを考えれば、子ども一人の宿泊行事に対応するぐらい、やる気さえあればできることです。子どもの権利条約(2条・23 条)にも、障害者権利条約(24条ほか)にも、そして憲法にも障害児(すべての子に)に対して教育、学習参加は保障されなければならないと 書いてあります。それをしないのは、行政の怠慢でしかありません。他の子には親の付き添いを要求しないで、障害のある子だけに付き添いを要求してくる、こ れはあきらかな「障害による差別」です。
学校は、親がそういうことを知らないと思い、親が付き添ってくれればと、安易に親に要求し、承諾が得られれば、自分たちは何もしなくてよかった、という ことですませようとしています。場合によっては、付き添わないと連れていかないぞ、みたいな脅しをかけてくることもあります。
こういった「攻撃」に対して、はっきりこちらは「付き添いません」という意思を示し、子どもが参加するために必要な配慮(合理的配慮)は、学校がするべ きことではありませんか? と伝えましょう。
子どもからみれば、友だちどうしで行くからこそ楽しい宿泊行事に、親がついてきたら、たまったものではありません。子どものためにもことわりたいです。
相談の中には、その子だけ別の乗り物で行かせるとか、別メニューするとかの話もあります。事情によっては、やむをえないこともあるかもしれませんが、こ れらについても先生の都合ではなく、親の立場からみて、やってほしくないことがあったら、はっきりことわりましょう。
■ 質問
小学校低学年。今までそういうことはなかったのに、最近、不安定で落ち着かず、授業中に立ち歩いて勝手に教具をいじったり、友だちにいたずらした りして、先生からも強く叱られているようです。担任や学校からは、支援級に行ったほうが子どものためになると言われ、困っています。
■ 答え
子どもがそういう行動にでるのは、子どもが悪いわけではありません。今までなかったことが始まったというのは、自分のことを分かってほしいという 一つのサインかもしれません。
担任や学校は、支援級を勧めているようですが、支援級に行って子どもの問題が解決するわけではありません。今、支援級や支援学校から全国連絡会への相談がたくさんきています。支援級、支援学校の先生たちの対応が子どもにはつらくて、どうにかならないかというものばかりです。おそらく学校、担任は、そうい う実態も知らずに、場所を変えれば子どもがよくなるような思い込みであっちへ行けと言っているように思えます。
大事なことは、場所の問題ではなく、子どもと向かい合うべき周りのおとなたちが、その子と真剣に関わろうとしているかどうかではないかと思います。子ど もの行動をひとつのサインと受け止め、その子が何をうったえようとしているのか、その子の心の中に何があるのか、思いを寄せることです。
自分の思いを分かってくれないおとなが、いくらその子を強く叱ってその行動をやめさせようとしても、子どもは変わりません。まして、先生が、この子はこ の場所にいるのは良くないと思っているとしたら、子どもはそういう先生の気持ち、自分ととことん付き合おうとしないで自分のことを否定ばかりしている先生 の気持ちを見抜き、もっていきようのない気持ちを、マイナスの行動で表します。
子どもと付き合うときに必要なのは専門性でも、技術でもありません。先生が、この子としっかり向き合おうとしているかどうか、それだけです。子どもがして はいけないことをしたときは、叱ることより「どうしてそんなことをしてしまったのかな?」とまずは語りかけ、言葉に出しにくい子どもの心を読み取ることで す。そうすることで、少しずつ子どもは心を開いていきます。すぐにうまく行くわけではありません。離れた子どもの心を取り戻すには時間がかかります。あせ らずあきらめず、じっくり子どもと向き合うことです。どんなことがあっても、私はあなたと一緒だよと根気よく伝えることです。 以上のことを参考に、担任には、「あっちへ行け」ではなくて、あなたこそがこの子を救うことのできる唯一の人だということを伝え、子どもと向き合うことを お話しましょう。子どものしていることが変わらなくても、わかってくれる人がいるということだけで、子どもは安心して、無理なことはしなくなると思います。
■ 質問
小学校低学年。今までそういうことはなかったのに、最近、不安定で落ち着かず、授業中に立ち歩いて勝手に教具をいじったり、友だちにいたずらした りして、先生からも強く叱られているようです。担任や学校からは、支援級に行ったほうが子どものためになると言われ、困っています。
■ 答え
子どもがそういう行動にでるのは、子どもが悪いわけではありません。今までなかったことが始まったというのは、自分のことを分かってほしいという 一つのサインかもしれません。
担任や学校は、支援級を勧めているようですが、支援級に行って子どもの問題が解決するわけではありません。今、支援級や支援学校から全国連絡会への相談がたくさんきています。支援級、支援学校の先生たちの対応が子どもにはつらくて、どうにかならないかというものばかりです。おそらく学校、担任は、そうい う実態も知らずに、場所を変えれば子どもがよくなるような思い込みであっちへ行けと言っているように思えます。
大事なことは、場所の問題ではなく、子どもと向かい合うべき周りのおとなたちが、その子と真剣に関わろうとしているかどうかではないかと思います。子ど もの行動をひとつのサインと受け止め、その子が何をうったえようとしているのか、その子の心の中に何があるのか、思いを寄せることです。
自分の思いを分かってくれないおとなが、いくらその子を強く叱ってその行動をやめさせようとしても、子どもは変わりません。まして、先生が、この子はこ の場所にいるのは良くないと思っているとしたら、子どもはそういう先生の気持ち、自分ととことん付き合おうとしないで自分のことを否定ばかりしている先生 の気持ちを見抜き、もっていきようのない気持ちを、マイナスの行動で表します。
子どもと付き合うときに必要なのは専門性でも、技術でもありません。先生が、この子としっかり向き合おうとしているかどうか、それだけです。子どもがして はいけないことをしたときは、叱ることより「どうしてそんなことをしてしまったのかな?」とまずは語りかけ、言葉に出しにくい子どもの心を読み取ることで す。そうすることで、少しずつ子どもは心を開いていきます。すぐにうまく行くわけではありません。離れた子どもの心を取り戻すには時間がかかります。あせ らずあきらめず、じっくり子どもと向き合うことです。どんなことがあっても、私はあなたと一緒だよと根気よく伝えることです。 以上のことを参考に、担任には、「あっちへ行け」ではなくて、あなたこそがこの子を救うことのできる唯一の人だということを伝え、子どもと向き合うことを お話しましょう。子どものしていることが変わらなくても、わかってくれる人がいるということだけで、子どもは安心して、無理なことはしなくなると思います。
■ 質問
特別支援学級にいます。できないことが多いからと、担任や校長から特別支援学校に行くように言われています。地域の学校に通いたいのでここにい たいと思っていますが、転校するように何度も言われて困っています。
■ 答え
転校する必要はありません。特別支援学校に転校する気持ちがないことをはっきり伝え、もう二度とこういう話はしないでほしいと強く訴えましょう。
普通学級にいて、できないことが多いと特別支援学級に行きなさいと言われます。特別支援学級にいても、できないことが多いと特別支援学校に行きなさいと言われます。特別支援学校に行ってできないことが多かったらどこへ行ったら良いのでしょう、と言いたくなりますね。
だいたい、場所が変わればその子は「できる」ようになるのでしょうか。
普通学級の先生の中には、支援学級にいけば特別な手立てがあって、その子をできるようにしてもらえるという「幻想」 を抱いている人も多いようですが、私が経験してきた範囲で言えば、そんなことはありません。何ができるかはともかく、 多くの仲間に囲まれて育った子は、トラブルをおこすこともありますが、そういうことを通して、友だちからたくさんの ことを学び、成長していきます。分けられた所では、少人数な分、先生との関係は増えますから個別に丁寧に教えてもら えていいように思いますが、そこで何かができるようになっても、それを生活の中で生かせるわけではありません。
「この子のためにはあっちへ行った方がよい」という言い方もされますが、本当に先生がこの子のためを思うなら、ま ずその先生がその子と向き合わなければならないと思います。その子のためを本当に思う先生は、他で良いことがあると 思うなら、そこでどんなやり方がされているかまずは自分で学んで、それを自分のその子との関わりの中に生かそうとす るでしょう。「先生、あそこが良いと言いますが、あそこでどんな教育がされているかご存知ですか。そのやり方が良い と思うなら、ここで、そのやり方でやってください。まずは、この子としっかり付き合ってください」と、言ってみましょ う。
そもそも、できるとかできないとか、それが人間としてどれほど大切なものかと思います。大切なのは、できることが たくさんあるからいいとか、できないことがあってはならないと考えることではなく、できなくても、助けたり助けられ たりする関係をつくっていくことだと思います。先生から見れば、できないことが多かったり、教室の中でいろいろ問題 を起こしたりする子は困った子であり、ここにいてはいけない子になるのかもしれませんが、実はそういう子がたくさん いるからこそ、ときにはいやな思いをさせられたりしながらも、子どもたちはお互いのことを考え、学び合っているので す。できるだけ、たくさんの子どもたち と関わり合える場所に子どもたちをいさ せてあげられたらと思います。
■ 質問
発達障害の子の親です。学校から子どもの「障害」のことを保護者会で説明してほしいと言われました。わざわざそうい うことをする必要があるのでしょうか。また、話すとしたらどんなことを話したらよいのでしょうか。
■ 答え
特別に時間をとって説明する必要はないと思います。学年初めの保護者会では、ひとりひとり自己紹介をするようなことが 多いかと思いますが、そういうときに、誤解のない範囲で「うまく言葉が伝わらないことがあります」とか「感じやすい子です」 「音に敏感で、先生の叱る声もいやがります」などと、「障害」というよりも、子どもの性格としてとりあえずは話しておけば よいと思います。
子どもの様子がどこか心配で医者に診てもらったら「発達障害」と言われ、そだったのかと「障害」を前向きに受け止めて納得 できたり、親のせいではなかったとほっとできたりしたら、それはそれでよいと思うのですが、実はどの子にもそれなり の問題はあります。あまりしゃべらない子、元気すぎてすぐに手が出てしまう子、授業中になかなか落ち着けないで手遊びばかり してしまう子、はしゃぎ過ぎる子等々、問題のない子など一人もいないのです。うちの子には何も問題がないという人がいた ら、むしろそちらの方が心配です。
この欄でいつも書いていますが、子どもがいろいろなことをするのは、その子なりの表現です。授業中に手遊びをする のは、先生の話がつまらなくて退屈だからということが多いです。手遊びでもしていた方が気が紛れて、かえって先生の 話が聞けたりします。学校というのは、とかくみんな同じを要求されますから、それが耐えられない子は、様々な形で抵 抗をします。それが先生に理解されなくて、授業中、先生に叱られるとそのいらいらを友だちにぶつける、さらにそのこ とで先生に叱られる、という悪循環がその子に起きてしまうこともあります。本当は、そういう子は、とても気持ちが細 やかでちょっとしたことがすごく気になったり、他の子を叱る先生の声がつらかったり、自分の気持ちに合わないこと をやらされるのがいやだったりするのです。それを押しつけているおとな(先生)の方が問題なのに、いけない子とされ、 発達障害と言われ、保護者会で子どもの説明を親がしなければいけなくなったりします。
自分の子どもの障害をみんなに伝えるのはいけないことではないかもしれませんが、慎重にしないと、誤解を生み、その子 が周りの子から偏って見られたりします。
学校が、その子の親に対して他の親に説明を求めるということは、何かあったとき にそれがその子のせいだとしたいからかもしれません。その子がそういう行動をする のは、実はその子のせいではなく、先生の対応が問題なのに、自分は悪くない、その 子の「障害」のせいだとすることで、責任を逃れようとしているようにも見えます。
子どもの行動で心配なことは、まずは担任によく話し、何かおきたときは、すぐ に叱らないで子どもの話を良く聞いてほしいと伝えることが大切だと思います。担任 の対応が変われば、子どもは安心できますから、多少のごたごたはあっても、落ち着 いた学校生活ができるように思います。
■ 質問
小学校低学年、知的障害があります。普通学級で元気に学校生活を送っていますが、年度末に学校から呼び出され、担任や 校長から子どものできないところばかり並び立てられました。さらに「この子の将来を考えていますか」と責めるように言われ、 この子のためには支援学校に行くべきだと言うのです。反論もできずに一方的に言われてひどく傷つきました。普通学級から出 るつもりはありません。これからどう対応していってよいか不安です。
■ 答え
一時、障害者権利条約の影響もあって、共に学ぶことについてそれなりに理解を示そうとしていた学校・教委が、「分 離教育こそその子のため」と堂々と言うようになってきました。文科省が、「分離教育もインクルーシブ教育システム」などと 言っていることから、普通学級に障害児がいることは間違っていると思い込んでいる人たちが、親子を責めたてているようです。
特別支援教育そのものが、共に学ぶ教育の本質をねじ曲げてスタートしていることがまずは問題なのですが、その特別支援 教育でさえ「場からニーズ」という言い方でこれからの教育は、普通とか「特殊」とか言う場所の問題ではなく、どの場におい てもその子のニーズに応じた教育をするべきとしています。知的障害があっても普通学級で学ぶことは当たり前のことですし、 学校はその場でのその子の教育を保障する責任があります。したがって、「この子のためには他に行った方がよい」という言い 方そのものが、その子への教育の責任を放棄していることです。「うまくいかないことはあるかもしれませんが、できるだけの ことをやります」というのがまずは学校の姿勢でなければいけません。
みんなと一緒に学んでいて気づかれていると思いますが、先生のやり方は不十分でも、子どもは周りの子どもたちからたくさ んのことを学び、その子なりの成長をしていきます。それは分離したところでは得られない貴重な学びです。子どもたちが学 校で学ぶのは、計算や文字もありますが、もっと大切なことは周りとどうやって生きていくかということです。困っている子が いたら助ける、うまくいかないことがあったら助けてもらう。そういう日常の関わりがどの子にとっても大事なのです。そのよ うな関係が小さいときから育っていけば、できることが多くなくても、将来の心配はいらないでしょう。分離教育をやり通して きた日本では、残念ながら、大きくなってからの心配はまだまだ残されています。でも、その将来を考えるのは親ではなく、学 校であり行政です。
分けられた所で学んだことで、将来の保障があるかと言えばそうではないことをほとんどの人たちが感じています。「支援 学校にこの子が行けば、この子の将来を校長先生は保障してくれますか」と聞いてみてください。子どものできないことばかり 言うことも問題ですね。いかにこの子がダメな子で、普通学級にいてはいけない子かを親に突きつけるために言っています。「こ の子に良いところはないんですか? 子どもの良いところを見つけてどう伸ばすかを考えるのが教育ではないんですか。できな いところがあるなら、それをどうしたらよいかを考えるのが学校の仕事ではないですか。他の子は、できなかったら丁寧に
■ 質問
小学校低学年、発達障害があります。学校からこの子の学力保障や安全のために 付き添ってくださいと言われました。子どもは、親が学校に来るだけでもいやがります。どう答えたらいいでしょう。
■ 答え
「付き添いはしません」とはっきり断るのが一番良いと思います。
子どもの様子でも分かるように、教室の中で自分だけ親がいるのはいやなもので す。学校は、親と離れて生活するところですから、親がいて良いことはありません。
学校にお世話になっているという後ろめたさがあるために、ついつい断りにくく なってしまうかもしれません。そこで、「仕事がありますから」とか「下の子が小さく て」とか何か断る理由を見つけて言いがちですが、そういう断り方はしないほうが良 いと思います。「子どもにとってそれは良くないと思うから付き添いません」とこち らの考えをしっかり伝えることが大切です。
学校の教員の中には、障害をもっている子には親が付き添うことが当然のように 思っている人がまだたくさんいます。インクルーシブ教育ということは知っていても その本質はわかっていなくて、校長も担任も、それが自分の役割のように何の罪意識 ももたずに、付き添いを要求します。しかし、「障害児には親を付き添わせろ」など ということは文科省も言いません。問題の多い特別支援教育の考え方の中でさえ「付き添い」という言葉はありません。支援す るのは親ではなく、学校であり行政です。他の子に付き添いを要求しないのに、障害 児には付き添いをさせようというのは、実は「障害を理由とした差別」であり、子ど もの権利条約に違反していますし、合理的配慮をしないのは、障害者権利条約に違反 しています。これらは行政、学校の怠慢です。学力保障も安全への配慮も親にさせる ことではなく、学校が責任をもってしなくてはならないのです。
たいして危険ではないのに、親に付き添わさせるがためにそういう言い方をしてく ることもあります。「安全の保障は学校のすることではないですか?」「教委などに 申し入れをしたのですが?」と聞きましょう。「人手が…」「予算が…」「市(区)の 決まりで…」などと言われることもあります。額は少ないですが行政からも予算はお りているはずです。どんな決まりがあってどんな予算の使われ方をしているか、確か めたいですね。(支援員がいることが本当に良いかどうかは、また考えなければいけ ないことなのですが…)
ふだんの授業だけではなく、水泳指導、遠足、宿泊行事などでも同じことが言えま す。特別な事情のない限り、付き添いは断りましょう。国会に障害者が入るというこ とでの対応の素早さや、オリ・パラのバリアフリーについての都知事のチエックなど は報道されていますが、子どもはもっと大事にされなければいけないのではないで しょうか。都知事には、まず、学校をチエックしてほしいですね。
■ 質問
この4月に小学校に入学しました。さっそく担任と話をしましたが、担任は、この子の将来をどう考えているかとか、別 のところに行った方がこの子のためになるとか、そういう話ばかりをします。うちの子をちゃんと見てくれるのかと心配に なります。どう対応したらよいでしょう。
■ 答え
残念ながら今の学校のほとんどの教員は、まじめにそう考えています。でもあきらめてはいけません。この子は ここにいてはいけないなどと言うのは、障害による差別です。ただ、担任の先生は差別とは全く気づかずに、善意でこの ような発言をします。
そんなとき「先生、先生はこの子がかわいくないんですか。この子はここにいてはいけないと本気で考えているんです か」と聞いて見たらどうでしょう。
先生にとって子どもはかわいいですし、子どもの成長はうれしいものです。子どもは大切なお客さん。障害があるとかな いとか関係なく、そのクラスに入った子はみんな、大切な子どもです。
入学式の後などで担任の先生は、クラスの子どもたちにこんな挨拶をよくするでしょう。「みなさん、よく来てくれまし たねえ。みなさんに会えてうれしいです。みんな、私にはとても大切な子どもたちです。これからいっしょにやりましょう」 だとしたら、「先生、うちの子は、例外ではないですよね」と確認してみましょう。
子どもたちはひとりひとり違います。中には、言うことを聞かない子、席につかない子、授業中騒ぐ子、勉強するのが 苦手な子もいます。実は、そういう子は先生にとって宝です。最初はうまくいかないかもしれません。ずっとうまくいか ないかもしれません。うまくいかなくて悩むこともたくさんあるでしょう。でも、今日がだめなら明日こそ、と思いながら 子どもと真剣に付き合うことで、気がつかなかったことが、ふと立ち止まって振り返ると、実はその子はものすごく成長 していることに、先生は気がつくのです。字が書けるようになったとか、かけ算九九ができるようになったとか、そんな ことではなくて(もちろん、そういうこともあるのですが)、その子と周りの子が楽しそうに話をしていたり、困っている 子がいたら助けにいったり、友だちと素敵な関係をつくっていたりするのです。そこで先生は、この子がここにいてくれ て良かったと思えるようになるのです。その子と出会って一番たくさん学ぶのは先生かもしれません。先生もよく言いま す。子どもから学ぶことが大切だと。先生がうまくできなくても周りの子が教えてくれたりもします。
前回も書きました。何があっても正しいのは子どもだと思ってください。先生は大変かもしれませんが、決して子どもを悪い 子と決めつけないように、「周りと同じ」を要求しすぎず、まずは楽しい毎日が過ごせるように見守ってほしいと伝えてくだ さい。子どもの将来は誰もわかりません。何ができるようになるかは、子どもが自分で見つけていきます。長い目で子どもを見 つめてもらえるといいですね。
■ 質問
水泳授業を前にしての話し合いで、安全のために障害のある自分の子の帽子に印をつけてほしいと言われました。なんで障害の ある子は帽子に印をつけなければいけないのか理解できません。それが、どんなに子どもを傷つけていることになるか学校の先生 たちは分かっているのでしょうか。
■ 答え
水泳授業で子どもの安全を守るとはどういうことでしょうか。水泳の授業は子どもたちにとって楽しい反面、命の危険を伴うも のですから、安全には細心の注意を払うのは当然のことです。しかし、その安全を守るために特定の子の帽子に「印」をつけること は、あってはならないことです。印をつけさせることだけでも差別ですが、そこにはもっと深い差別があることに気がつかなけれ ばなりません。
それは、「誰かがおぼれたら助けるけれど、お宅のお子さんは助けません」という命にかかわる差別です。
水泳授業では、誰もがおぼれる可能性があります。誰がおぼれても先生はその子を(当たり前ですが)助けます。命に関わりま すから、先生たちは、誰がおぼれても助けるのです。助けなければならないのです。おぼれた子を見逃さないように、必ず複数で プールサイドから水面を見ていなければなりません。帽子に印があろうとなかろうと、おぼれた子は助けなければいけないのです。
それなのに、特定の子に印を求めるということは、他の子は印がなくても助けるけれど、障害や病気のある子は印がなければ助けま せんよ、と言っているわけです。
そもそも、障害や病気の子に印をつけさせることは、「私には障害(病気)があります」と、知られてほしくないかもしれない 情報を周りに知らせているわけで、個人情報保護の観点からも許されるわけはなく、それ自体が差別です。この子は他の子とは違 う存在だとわざわざ周りの子に見せつけるわけですから、どれだけ子どもの心を傷つけているか、そういう想像力を先生たちも身 につけてほしいですね。
ある学校の小学生は、母親が帽子に縫い付けた印を、泣きながらはさみで切ろうとしていたと、親も泣きながら話していました。
もし学校から帽子の「印」を求められたら、「つけません。先生方は、印がなければうちの子を助けないんですか」と、はっきり 断りましょう。中には、「印がなければプールに入れません」と言ってくる学校もあるかも知れませんが、これは、明らかに子ど もの教育権を奪うことになりますから、憲法に反します。子どもの教育を保証するはずの先生が、安全を言い訳にして子どもの教 育権を奪ってはいけません。
「安全」に名を借りた差別は、他にもたくさんあります。親の付き添いなどもそうですが、安全を言えば親は指示に従うと思っ ているのでしょうが、安全を守るのは学校の仕事です。印をつけさせることは、実はよく見ないと言っているのと同じですから、 かえって危険だということに気がつきましょう。
■ 質問
小学校の低学年です。勉強ができないことで、このままでは大きくなって心配と担任から言われました。子どもは喜んで学校 に行っていますし、親としては、勉強はできなくてもみんなと一緒にこのまま学ばせたいと思っています。担任には、どう答えた らいいでしょう。
■ 答え
「子どもは喜んで学校へ行っています。これも、先生のおかげです。勉強はできなくても、子どもは友だちが大好きで、この子 にとってここにいることが一番良いと思います」と、自信をもって答えましょう。
1月22日、東京で行われた全国集会ポスト集会で、小学校の先生の大和さんは、今の学校で問題なのは能力主義にあると話され ていました。勉強のできることは良いことで、できないことはいけないこと、としてしまうのはおかしいと言うのです。できないこ とも良いことなのだ、と言われたのです。
人は、ひとりひとり違いますから、みんな同じではありません。能力もみんな違って当たり前です。違って当たり前なのに、先生 も親も子どもができるようになることが良いことだと思い込まされています。能力主義にすっかり犯されているのです。できる子もい て良い、できない子もいて良い、それが本来の学校の姿であり、人間社会の姿です。いてはいけない子(人)なんていないのです。
担任の先生が心配するのは、そういう能力主義にどっぷりつかった学校では、できない子の存在が否定されて子どもがかわいそうだと 言うのでしょう。でも、誰がその子を否定するのでしょう。できないことはいけないこととしている先生ではないでしょうか。先生が 、人間の価値はテストの点数が良いとか悪いとかで決められない、どの子もそれぞれがすばらしい価値をもっているのだ、と認めれば 、子どもは何の苦労もいりません。
勉強ができる子でも、他の子と比べて少しでも差がついたりしただけで人生に失望してしまって事件をおこしています。能力主義が 歪んだ価値観を子どもたちに与えているとしか思えません。できるから良い、というものでもないのです。
できない子には、できないことでの素晴らしさがあります。そういう、どの子も素晴らしいものを持っているということを、子ども たちは一緒に生活しながらお互いに学びます。そしてその素晴らしさを認め合おうと教えるのが、先生の仕事ではないでしょうか。でき ない子、変わった子、おもしろい子、そういう子どもたちがたくさん集まってこそ、学校が成り立つのですから、堂々とみんなで一緒に 学校に行きましょう。
■ 質問
①小3です。面談で、「お宅のお子さんは、先生の指示に従わなくて困っています。どうしてよいかわかりません」と担任に言われました。どうしたらよいでしょうか。
②小1です。電話で「教室を飛び出して困っています」と担任から言われました。どう答えたらよいでしょう。
■ 答え
「障害」児に限らず、先生にとって困った子はたくさんいます。言い方を変えれば先生を困らせない子などいません。それが子どもだからです。でも、わざわざ、「障害」児に限ってこういうことを言ってくる先生は多いように思います。そこには、「障害」児はここにいるべきではない(出て行け!)という気持ちをどこかにもっているからだと思います。
学校の先生方の研修会などでは、問題を抱えた子とどう対応するかという話し合いは頻繁にもたれます。そして、様々な事例を通して子どもとの付き合い方を先生方も学んでいるのです。ですから、上記相談のような事例も、親に言ってくるのではなくて、先生方の中で相談して解決していくことが本来のあり方です。他の子は先生が対応するが、「障害」児は親に言ってくるとしたら、ここに差別があります。
今は、障害者権利条約でどの子も共に学ぶことが基本であり、課題のある子どもたちには配慮するべきことが書かれています。しかもそれを日本がちゃんやるようにと国連から勧告が出されました。
先生から「困っています」なんて言われると、親が悪いことをしているような気になってしまいがちですが、まちがっているのは先生です。ですから、堂々と先生に伝えましょう。
まず、卒業するまでこの学校(普通学級)にいること。そして、先生が困っていることを子どものせいにしないで(子どもが悪いのではない)、どうしたらよいか子どもから学んでほしいこと(先生にこの子と付き合う覚悟をしてもらうこと)。子どもを上から押さえつけるのではなく、子どもを受け入れ、その子の心が開かれるようにすること。
先生の立場から言えば、そんなにうまくいくとは思えないでしょう。でも、先生がその子と本気で付き合えば、子どもは心を開きます。時間はかかるでしょう。私の経験で言えば、これまでも何人も教室から飛び出す子と付き合ってきましたが、(飛び出す子の事情もいろいろですが)入学時に飛び出す子は、2年3年たてば落ち着いてきます。少し大きくなって出ていく子には授業の工夫などで、子どもは教室から出なくなります。それでも教室から出る子は、その子が悪いのではなくて私の授業が悪かったと、仕切り直します。困った子どもとの出会いは、先生にとっては貴重な出会いであり、貴重な経験なのです。
<相談> 子どもは小学校低学年で、特別支援学級に在籍しています。毎日のように担任の先生から、あれができない、今日はこんな事をやらかしたと言われ、どう答えてよいかわからずに困っています。担任は、「一番辛いのは本人だと思います。」と言い、特別支援学校への転学を迫ってきます。連日のことに心が折れそうです。このままだと特別支援学校に行かされてしまうのでしょうか。
<お答え> ご相談の件、基本的に担任が間違っていますね。まず、保護者の承諾なしで籍を一方的に変えられることはありませんから、もし、そのようなことを言われたら、はっきり「そういうことは考えていません」と言ってください。
子どもがわからないから先生が教えるのです。できないことはいけないことではありません。子どもの行動についても、子どもはいろいろ行動するのが自然です。大人の思うようには子どもが動かないのが普通です。おとなの言う通りにする子どもがいたら、かえって心配です。そういういろいろなことをする子どもをどう指導するかを考えるのが先生の仕事です。今は支援学級におられるようですが、支援学級でも普通学級でも、できないこどもに必要な
支援をするのが学校の仕事で、事実を保護者に伝えることはいいのですが、それをいけないことのように言うのは間違っています。うまく指導できなくてすみませんとあやまるのが先生でなければいけません。こういう先生にどう言い返すかは、なかなか難しいですが、先生のプライドを傷つけないように、何かいい言葉を考えたいですね。
「特別支援学級というのは、こういうできない子どもたちを支援するところだと聞いてここに入れました。先生は、専門家ではないんですか? こういう子どもに先生はどのように指導したらよいとお考えですか?」「学校は、できない子をできるようにするところではないんですか?」「子どもはできるようにならないといけないんですか?できないことにも価値があるって知っていますか?」
今の学校は、できる、できないで子どもの価値を判断する傾向が強いように思います。子どもはできないことが辛いのではなく、できないこと(自分の存在)を否定されて辛いのです。勉強はできなくても、心が優しかったり、友だち思いだったり、どの子も良いところをたくさん持っています。そんな子どもの良さを大切にできる学校であってほしいですね。 (片桐)
【4 その他の相談 】
■ 質問
特別支援学校高等部に在学しています。子どもが大学に行きたいと言うのですが、高等部卒で大学は受験できるでしょうか。 受験できないとするとどういう方法があるでしょうか。
■ 答え
制度上は、特別支援学校高等部卒業で大学入学資格は得られます。 特別支援学校高等部を卒業しても高等学校卒業の資格はえられませんが、学校教育法90条では「大学に入学することのできる者は 、高等学校若しくは中等教育学校を卒業した者若しくは通常の教育課程による12年の学校教育課程を修了した者又は文部科学大臣 の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者」と書かれています。つまり、大学側が容認したら受験でき るということです。
ただ、特に知的障害高等特別支援学校、知的障害特別支援学校高等部の場合は自立活動なども多いため、志望する大学側が定 めた科目の単位を取得していないと受験自体ができない場合があります。したがって、入学時点から大学進学に合わせた教育課程 を個別に編成してもらえるかどうかを学校側と話し合っておく必要があります。卒業後進学を考えている場合は入学前に卒業まで に取得できる単位数などの確認をしておく必要があります。
大学入試に際しては、「高卒程度の学力を有すると認められる者」うんぬんの但し書きがだいたいあるのですが、ある大学に その記述がなく、受験できなかった支援学校卒業生がいたということがありました。そこで、支援学校の教員が大学に申し出てそ の記述を追記させた事例があります。このことを知らなくて受験を諦めている支援学校卒業生が多く、また特別支援学校や大学側 も知らない人が多くて、前例がないという理由で拒否される場合がありますのでご注意ください。
また、特別支援学校を卒業しなくても、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)を受けるという方法があります。入 試を受ける年の年度末までに16歳以上であれば受けることができます。
あるいは、特別支援学校をやめて普通高校に入り直すことも、もう一つの方法です。長い将来のことを考えるとこれが一番よい 方法かもしれません。高校も、通信制を含めて今はいろいろありますから、卒業すれば、文句なく大学を受けることができます。 *この件に関しては、私も詳しいことがわからなかったので、いろいろな方の協力を得て教えていただき、お答えしました。
■ 質問
文科省が『通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議(第1回)』を開いたそうです。 文科省の意図はどこにあるのでしょうか。
■ 答え
文科省は、年度内(年内?)に結論を出す予定で、上記検討会議の第1回を6月14日に開きました。メンバーは20人ほど。 特別支援教育関係の学者、校長などが多く、異色なところで卓球選手の平野美宇さんの母親(お子さんが発達障害)、また私た ちの思いを伝えてくれそうな人でNHKの解説委員の竹内哲也さん、一般社団法人UNIVA理事の野口晃菜さんが入っています。
第1回の会議は、決められた2時間の範囲で出席者の自己紹介程度で、「ここに出られて光栄です」などどうでもよいことを 言っている人も何人かいるなど、ほとんどの人が文科省の言いなりになりそうな発言をしていました。その中で竹内さんは、「自 分は車イスユーザーだが、普通学級でずっと学んで来て良かった。障害児がみんなの中でいることは、本人にとっても周りにとっ ても良いことだ」と発言していました。
会議のテーマからすると、通常学級の中での「障害」児の支援の話かと思うのですが、実際には、「発達障害」の子を「通級」 させることで、その通級のあり方の検討をしたいようなそんな感じで話が進んでいました。文科省の意図もそこにあるのでしょう 。知的障害の子も普通学級にはいるはずですが、東京の高校の校長は、知的障害の子が高校に入ってくることに、何でそういう子 が高校にくるのかという感じの発言。後から聞いたら、その校長の高校に通っている子がいて、辛い思いをさせられているようで 、こういう校長が検討会議の委員になって何ができるのかと、疑問を持たざるを得ません。
文科省が本当にやる気なら、現在もこれまでも、普通学級で学んでいる子どもたちやその親、その子と関わっている学校、先生 方の話をたくさん出し合って、そういう実践から考えればいいのに、そういう話がほとんど出てこないような会議の設定になって います。どうやら、すでに結論ありきで、形だけの検討会議を開いて「検討」したことにしてしまうのではないかという疑問がわ いてきます。
現実の普通学級で困っている親子の声がたくさんあって、その多くが学校、先生の「障害」児への「パワハラ」「いじめ」から きています。普通学級での「支援」は、「その子がここにいていいよ」「あなたがここにいてよかった」という学校、先生の受け 入れる気持ちによってほとんどうまくいっています。そのような事例に学びながら、検討会議は進められるべきだと思うのですが 。
今回は、いつものような相談についてのお答えではなく、先の広島の全国交流集会の分科会で話題になった「できる」「できない」について考えてみることにしました。
今の学校では、できることが求められています。できないことが多い子は、学校に行きづらい、行ってはいけない、行ったら周りに迷惑がかかる、そう思っている人がたくさんいます。そして、自ら特別支援学級、特別支援学校を選んでいく、そういう例が多いですね。
できないことがあると学校に行ってはいけないのかと言えば、そんなことはありません。何もできなくても堂々と学校に行ってください。確かに学校は勉強するところで、勉強して読み書きをおぼえて、それはそれで大切なのですが、勉強はいろいろな人との出会いから始まるのだと思います。何のために勉強するかと言えば、それは周りの人たちとどう生きて行くかを考えるためで、そのためにはいろいろできる人もいれば、いろいろできないことがある人もいて、おたがいこういう人たちとどうやってつきあっていくかを学ぶことだと思います。全国交流集会では、「できなくてもいい」ということが話し合われていました。ほんとうにそうだなあと思いながら話を聞いていた私でしたが、でも「できなくてもいい」ではなくて、「できないことはすばらしいこと」なのではないかと考え始めていました。
私のクラスにいた和君は、言葉がほとんど聞き取れない子でした。いつも「だだーっ」と言っているように聞こえました。ところが同じクラスにいた小学1年生の子どもたちは、その和君の「だだーっ」を聞き取り「今、○○と言った」と私に教えてくれました。いっしょにいることで友だちの言葉を一生懸命聞こうとする、伝えようとするその関係が、和君がいることで生まれました。点数では表せない貴重な学びを子どもたちは和君を通してしていたのだと思います。のぶちゃんも、勉強はほとんどできませんでしたが、友だちとけんかしながら、私やクラスの友だちにいろいろなことを考えさせ、教えてくれました。足の遅いのぶちゃんがリレーに参加して自分たちも楽しくできるか、みんなは真剣に考えました。移動教室で動かないワニを見て不思議に思ったのぶちゃんは、園の人に聞いてそのわけをみんなに教えてくれました。のぶちゃんはクラスの大切な存在でした。私は、和君やのぶちゃんと出会って、自分の教員のあり方を変えさせられました。この子たちは、できないことがたくさんあったけれど、先生の人生まで変えてしまったのです。
人の価値は、できることにあるのではありません。その人その人にあるのです。それはひとりひとり違います。その価値と価値が出会って人は豊かになるのだと思います。目の見えないことも、歩けないことも、聞こえないことも、寝たきりでも、そこに価値がある。違いを大切にするということは、そういうできないことの価値を大切にするということだと思うのです。(片桐)
「できないことはすばらしい!」について
この原稿を、運営委員で会報編集担当の千田さんに見ていただいたところ、次のようなコメントをいただきました。
「できる、できないではなく、その子その子の存在自体に価値があり、価値と価値の出会いが人を豊かにする、ということは私たちの基本的な考え方で、とてもいい文章だと思います。ただ、特別支援学校(特に高等部)に子どもを行かせようという親は、障害のある我が子が何か仕事が少しでもできるようになって、とにかくどこかに就職できるようにならせたいと「必死に」すがるように思っていると思います。その脈絡で考える人には、もう少し説得力がないように思います。働く、何かできるようになるということが人の価値を決めるように、思われているのですから。障害のある人の価値を認めないこの社会で、この思いがどれだけ、障害当事者や親御さんを苦しめてきたことでしょうか。そうではなくて働けないことはいいことだ、働けないことはすばらしいことだ、働かなくても生活保護を受けて生きていく権利があるのだ、そこまで言い切る、思い切ることへつながっていく議論だと思います。」
みなさんは、どのように思われますか。ご意見うかがえれば幸いです。この件に関しての投稿、お待ちしています。(片桐)
<相談> 子どもは中学生です。高校に行きたいと言っていますが、勉強はほとんどできません。普段のテストも点がとれないことが多いです。こういう子でも高校に行くことはできるでしょうか。
<お答え> ぜひ、挑戦してください。
ほとんどの子どもたちが高校に行く時代になりました。高校を義務教育にという声もあります。私たちは、義務教育とまではいかないまでも、「希望者全員入学」を実現してほしいと思っています。現在、高校には入学試験があり、受験者数が定員を超えた場合、一定以上の点数がとれないと入学できない仕組みになっています。また、受験者が定員より少なくても、点数の低い生徒や「障害」のある生徒が不合格になるということが現実にあります。「適格者主義」と言って、高校の学習内容を習得して卒業できる見込みのある生徒は入学してもいいが、卒業の見込みのない人は入学させないという考え方があり、それを理由に高校に入れさせないのです。
勉強できないからこそ学校に行って勉強するのです。点数が低い生徒からまず学習の場を保障しなければいけないのに、そういう生徒を不合格にするのはおかしいと思いませんか。また、高校を卒業した人たちの中に高校の学習内容を習得して卒業した生徒がどれほどいるでしょうか。高校を卒業したあなたに、微分、積分の問題が解けますか?これができなくても高校は卒業できていると思います。「適格者主義」は、少数のできない生徒を排除するものでしかありません。
私たちは、「0点でも高校へ」という考え方で、誰でも高校に入れるように各地で運動してきました。その結果、公立高校を受験する際に、視覚障害の人には点字受験、文字の読めない人には代わりに読む人、うまく書くことのできない人には代わりに書く人を置くなどの、受験の際の配慮がされるようになった都道府県もあります。また、定員内不合格については、文科省や各都道府県に呼びかけ、定員内不合格をしないという約束をしているころもあります。たとえば東京では、入学試験で点数が低くても高校に入学し、楽しい高校生活を送って卒業していった生徒たちがたくさんいます。
絶対高校に入れるという保障はありませんが、ぜひ、高校に挑戦してください。少なくとも、「障害」を理由とした不合格はないように、また定員内不合格をださせないように、できたら地元の方たちに協力いただいて、高校入学を実現してください。2024年10月に、北海道の旭川で全国高校集会が行われます。これは、1年おきに行われている全国集会で、全国各地での入学試験の取り組みや、実際に入った人たちの高校生活の報告などがされます。まだまだ壁は厚いのですが、高校に入りたいという声を集めて、「希望者全入」を目指したいと思います。各地の状況など分からないことがありましたら,全国連絡会に問合せください。(片桐)